鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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室町時代の「誰ケ袖蒔絵香合J(個人蔵)〔図16〕(注6)には,梨地蓋表に金銀高蒔絵の技法で,梅の折枝,畳み置かれた小袖と煙立ち昇る阿古陀形香炉が表される。同じく室町時代の「誰ケ袖蒔絵硯箱」(個人蔵)(注7)の蓋表には,水辺の土壌に植生した梅樹の下にやはり阿古陀瓜を象った六花形の香炉を表し,樹幹に「たか袖」の字を散らす。小袖の有無はあるが,両者は同内容の歌絵である。二作品の前後関係は明確でないが,室町時代に既に,古今集和歌に基づいた歌絵として,梅樹と小袖と香炉を表すという意匠が出現している事は確認される。江戸時代に入ると,衣桁に小袖飾りをする実生活の景を表した「誰ケ袖蒔絵硯箱J(徳川美術館蔵)〔図17〕(注8)や,「誰ケ袖蒔絵茶箱J(個人蔵)(注9)等が散見される。前者は黒漆塗の葦表に鉛板貼付けの衣桁に高蒔絵の小袖,帯,中啓,香炉を表す。金銀切金や赤青の螺銅で海賦文様を表現した小袖ー領と帯一筋は素朴ながら力強い造形で,磨きの少ない艶のない金蒔絵は十七世紀初頭特有の技法とされる。茶箱は,梨地の蓋表から側面にかけて螺銅の衣桁が4基表され,金高蒔絵で小袖が数領,裏地や裾砲は朱漆塗りで表される。比較すると,後者の着物の表現がより濡酒で写実的と見えるので,制作年代は後と考えられる。染織の辻ケ花染技法の文様として,「洲浜と雪輪に誰ケ袖文様裂J(注10)には衣桁に掛けられたー領の小袖が表される。徳川美術館の硯箱に通じる素朴な造形である。また寛文6年(1666)の『御ひいながた』には「いかうのもやう」と名付けられた意匠が載ることが指摘されている(注11)。つまり,室町期に古今和歌に基づいた歌絵の意匠として,初め香炉と小袖の図様が登場し,十七世紀初頭つまり慶長元和頃に衣桁飾りを表す,いわゆる「誰ケ袖J意匠が登場してきたと今のところ考えられる。しかしその聞の空白期間と様相が現在殆ど不明なので,果して展開を結びつけられるものなのか確証が持てない。だが,両者ににイ穿らに香炉が置かれたり,衣桁の端に匂い袋がさりげなく掛かっているのは,前時代の図様の名残と見られるのではないか。中世の蒔絵意匠に登場した古典文学に因んだ図様が,近世に至って現実的に捉え直され,慶長元和頃に新しい図様を獲得したと考える事が出来ないだろうか。この様に中世的な古典文学意匠が近世的に視覚的・造形的に捉え直された画題の例は,他にも「柳橋水車図扉風」や「武蔵野図!弄風」など幾つも見られる。「誰ケ袖図扉共i宣する要素として,香や香道具の存在に注目してはどうだろうか。後の時代の作品335-

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