鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
351/759

⑧ 敦埠莫高窟・初唐壁画の研究一一「宝楼閣図」による技術的傾向の分類一一研究者:成城大学・園皐院大皐非常勤講師山崎淑子はじめに一問題提起と考察の目的約三百年間にわたって続いた唐代の中でも,唐前期の美術は,一つの様式的規範として,東アジア全体に多大なる影響を及ぼした。この唐前期の壁画を考える上で,最も重要な資料群として敦埋莫高窟の壁画群があげられる。莫高窟における唐前期は,618年から八世紀初頭までの初唐期と,八世紀初頭から781年までの盛唐期に分けられている(注1)。中唐期以降は,莫高窟美術に一種の類型化が進むことからも,盛唐期は莫高窟の最盛期と言われ,その前段階に当たる初唐期は,最盛期への過渡期に位置づけられる。初唐期は前後約百年間にわたっているが,この間に少なからぬ様式変化が起こった。現在莫高窟には計四十四窟もの初唐窟が現存しているが(注2),初唐期から盛唐期にかけて莫高窟で起こった様式変化の様相を明らかにすることは,莫高窟美術のみならず唐代美術史上たいへん重要なことである。そして,様式変化を論じるときには,当然制作年代の問題をも念頭に置いておかなくてはならない。莫高窟・唐前期窟群全体に対する編年研究は,敦埋研究院の奨錦詩氏らによって行われた。奨氏は,1987年に開催された敦埠石窟研究国際討論会における口頭発表において莫高窟の唐前期窟を前後五期に分け,その年代観を示した。この奨氏による年代区分のうち第一期と第二期が初唐期に当たる。この発表要旨は,機関誌『敦』崖研究Jに掲載されたが,各期にどの洞窟が開撃されたのか,その具体的な窟番号が示されておらずまた未だ論文の形では発表されていない(注3)。筆者は,初唐期における様式変化の様相をより明確に把握するためには,同一の窟形式をもっ洞窟の間で比較を行うとより効果的であると考えている。初唐期には「窟頂は伏斗形をしており西壁に寵が聞かれている方形窟」(以下「伏斗頂・西壁一寵窟」と略す)が主流を占めこの形式の初唐窟は計三十窟以上現存している。また,初唐期窟群の中には紀年銘のある洞窟が計六窟現存しており,年代と様式の問題を考える上で重要な基準となる。筆者はこれらのうち,貞観十六年の紀年銘のある第二二0窟と,則天武后期の三つの紀年銘(垂扶二年,長安二年,聖暦年間)のある第三三五窟に注目した。何故ならば,貞観年間は陪末唐初の様式を脱し唐代独自の様式が形成さ341

元のページ  ../index.html#351

このブックを見る