鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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れた時期であり,また則天期は,盛唐期の基礎が固められた時期であるからである。そして,この両窟を基準にし,個々の壁画が,この両窟のうちどちらに近い造形上の傾向を示しているかを探ることによって,その壁画の様式上及び年代上の位置づけを行うことにした。ところで,様式変化の過程を明らかにする上で有効な指標となるものに,画工の技術的傾向がある。筆者は本稿において,特に技術面における変化の過程を探るため,初唐期に流行したモチーフの表現法と画面構成の手法に注目した。二,本稿の考察対象−「大画面の浄土変Jに表された「宝楼閣図J初唐期初期の様式は,惰末の様式と大きな違いはないが,貞観十六年の銘が残る第二二0窟に大きな変化が現われる。その変化とは,広い面積を擁する壁面全体を使って表された「大画面の経変」の出現である(注4)。莫高窟・初唐期の「大画面の経変Jには,阿弥陀経変(注5),弥動経変,薬師経変,維摩経変,法華経変,宝雨経変等がある。これらの「大画面の経変」は,陪末とは一線を画す唐前期独自の様式の始まりを象徴するものであり,また唐前期に盛行をみた形式であるため,この時期の様式変化の問題を考える上で適切な考察対象である。これらの「大画面の経変」の一つである阿弥陀経変には,三尊段のほか,宝池段,宝楼閣段,虚空段が描き込まれており,大画面全体を使って阿弥陀浄土の景観が表されているという意味において,特に「大画面の浄土変」と呼ぶことができる。また弥勤経変は,莫高窟の初唐期に限った場合,宝池の中に平台が浮かび\画面中央の平台上に三尊像が描かれ,画面の周縁部に兜率天を象徴する重層楼閣が表され,画面上方には虚空が広がっているという点で,画面構成上,阿弥陀経変と共通しており,このことから弥勅経変も「大画面の浄土変」と捉えることができる。これらの「大画面の浄土変」に表されているモチーフの一つに,浄土を象徴する宮殿楼閣の図がある。阿弥陀経変中の宮殿楼閣に関しては,『仏説阿弥陀経Jでは「楼閣」(注6),『仏説観無量寿仏経』では「七宝宮殿J「宝楼」等の語によって語られている(注7)。また弥勤浄土の児率天宮に関しては,『仏説観弥勤菩薩土生兜率天経Jにおいて「宮殿J「宝宮J「楼閣J等の語によって描写されている(注8)。「大画面の浄土変」に表された宮殿楼閣の図は,これらの経典の内容が絵画化されたものであり,いずれも浄土を象徴している(注9)。そこで本稿では,これらをまとめて「宝楼閣図jと呼342

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