木と③上層屋根軒先は,仰服視された形にしたい場合は右下がりに〔図2iiの③や図3の②③〕,反対に怖蹴視された形にしたい場合は右上がりに描く〔図2iの②③や図2-iiのG:等〕というこつの選択肢が与えられることになった。その結果,次の三つの類型の図形が生み出されることになった。まず,③上層屋根軒先を右上がりにして情蹴視された形にすれば,宝楼閣全体がイ府搬視されることになるので,②上層高欄架木も自然に右上がりになる。このように奥行き方向の線が全て右上がりである図形を本稿ではI型と呼ぶことにする〔図2-i〕(注14)。次に,「屋根の部分が仰敵視された図」を描こうとすると,③上層屋根軒先の線は下向き(右下がり)となる。そして②上層高欄架木は,怖服視された形(右上がり)と,仰搬視された形(右下がり)という二つの選択肢の中から選ばれることになるのだが,本稿では,この部分が右上がりになっている場合をE型と呼ぴ〔図2ii〕,右下がりになっている場合を皿型と呼ぶことにする〔図3〕。〔図2i〕の付図と〔図3〕の付図を見ると明らかなように,E型とE型は「前面」が「後面」よりも大きく,「側面」が台形になってしまい,矛盾のある図形となる。これらを確認した上で,初唐の宝楼閣図を分析するときのポイントとして,以下の四点を提示したい。第一に,各宝楼閣図の向かい合う面(「前面」と「後面」,「右側面」と「左側面」)の高欄架木は,それぞれ互いに平行に表されているかどうか。第二に,奥行き方向の線の斜度。第三に,軒裏の表され方。惰服視される屋根の軒先には,盛唐・第一七三窟南壁左中の宝楼閤図〔図2-iの③〕のように軒裏は見えないはずであり,屋根が仰服視されない限り,軒裏全体が見えることはないはずだ。では初唐の各例において,屋根が惰服視されている場合,軒先に本来見えるはずのない軒裏全体が表されているか否か(注15)。第四に,各図は画面中のどの位置に配置されているか。初唐期の「大画面の浄土変」において,宝楼閣図は図4に示した八つの場所のうちのどこかに配置される。画面上のどの位置に,I型からE型のうちどの類型の宝楼閣図を配置させるかについては,盛唐期後半の第一七三窟北壁・南壁,第三二0窟北壁において次の二つの規則性が確立していることが看取される。第一に,中軸線に対して線対称の位置に,同じ類型の楼閣図が配置されること。図4は初唐の作例を描き起こしたものであるが,この図の「左上左端j「右上右端jは,中軸棋に対して線対称の位置にある。盛唐の第一七二・344
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