鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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三一窟北壁・左上中央よりの図〔資料番号17〕は,上層右側面の架木〔図5の②(cd)〕がほぼ水平になっている。この図はE型と皿型の中間に位置づけることができる。第三二九窟南壁・左上中央よりの図〔図4,資料番号3〕や同壁右上中央よりの図〔図4,資料番号4〕も同様である。このような場合は,別表1の「(4)類型J欄において「E“E」と示した。別表lの資料番号lから20を見ると明らかなように,この両窟にはこのような図形は多数あるが,その他の洞窟にはほとんど見られない。次に,第四のポイント(各図を画面の中のどの位置に配置させているか)についてであるが,別表lの「(4)類型j欄に示した通り,第三二九窟南壁の場合,資料番号3はII-III型,資料番号4はE型となっており,第一の規則性(中軸棋に対して線対称の位置に同じ類型のものが配置される)が守られていない〔図4〕。第三三一窟南壁・北壁も同様である。このような例は,別表1の中で,この両窟の他に第三四一窟北壁〔資料番号33〕に見られるだけである。以上の分析を通して,第三二九窟と第三三一窟の聞の共通性が浮かび、上がってくる。なお,第三のポイントである軒先の表され方を見ると,第三二九窟北壁の宝楼閣図の屋根は情搬視されているのにも拘わらず,軒先に本来見えるはずのない軒裏が例外なく表されている〔資料番号7から10の「(3)軒裏J欄。図6〕ことを念頭においておきたい。(二)第三二九窟・第三三一窟の位置と窟形式ここで,両窟の位置関係を確認しておきたい。両窟は莫高窟の中でも初・盛唐窟が集中する地帯に位置しており,両窟の聞には第三三0窟がある。この第三三0窟は,人間一人も中に入ることができないほど規模が小さくむしろ仏禽と言った方が適当であり,制作年代もかなり下るため,第三二九窟と第三三一窟は隣接していると言って差し支えない。また「伏斗頂・西壁一寵窟」は,奥行き(東壁と西壁の聞の距離)と幅(南壁と北壁の間の距離)がともに5-6メートル,側壁の高さが4メートル前後,窟底から伏斗形窟頂最頂部までの高さが5-6メートルという規模のものが最も多数を占める。第三二九窟と第三三一窟はともにこの規模の洞窟である。両窟は同規模でしかも隣り合う洞窟なのである。日その他の窟との関係それでは,両窟に見られる技術的傾向は,その他のどの洞窟の傾向に近いのだろう346

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