鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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8〕は,「垂下境界線」が緩やかな弧を描き,「上方・横境界線」(禽頂と禽正壁の聞のか。別表1の分析結果をまとめると,初唐期窟群は(1)第三二九・三三一窟,(2)第二二0窟,(3)第三三五・三四一窟,(4)第七一・三二一窟の四つのグループに大別されることが分かる〔別表2〕。別表2の旺囚で示したところは,第三三九窟・三三一窟に共通する分析結果である。これにより,第三二九窟・第三三一窟に共通する技術的傾向の多くは,第二二0窟にも見られることが分かる。また,同表のにコのところは盛唐の第一七二窟南壁・北壁,第三二0窟北壁に共通する分析結果である。これらの盛唐窟では,(分析の第一のポイントである)架木は互いに平行に表され,(第二のポイントである)奥行き方向の線の斜度は大きく明確であり,(第三のポイントである)惰搬視される屋根の軒先に軒裏が表されることはなく,(第四のポイントである)画面構成上の第一・第二の規則性が共に成立していることは,第三章で述べた通りである。つまり,初唐期の第三二九・三三一窟の図より整理されており,初唐期窟群の技術的傾向は,全体としてこの第一七二・三二0窟に代表される技術的傾向へと変化していく方向にあったと考えられる。別表2を見ると,第一七二・三二0窟に共通する要素(亡コ部分)の多くは,初唐の第七一・三三一窟にも見える。そして第三三五窟・三四一窟には,初唐の第三二九・三三一窟に共通に見られる要素と盛唐の第一七二・三二0窟に共通に見られる要素が混在していることが知られる(rzzl部分)。そして,第三二九・三三一窟に見られる技術的傾向は,初唐の紀年銘のある洞窟のうち,則天期の第三三五窟よりも貞観十六年の第二二0窟に近いことが分かる。四窟形式と禽形式についてここで,改めて窟形式について考えてみたい。本稿で取り上げた洞窟群は,前述した通りいずれも「伏斗頂・西壁一禽窟jであるが,西壁寵の細部の形式は,洞窟によって微妙に異なっている。しかしこれまで唐前期窟の寵細部の形式変化について十分に論じられてきたとは言い難い。そこで,代表的な盛唐窟の寵形式を実地調査した。西壁寵の各部名称、を図7に示し,以下,これに従って記述していく。宝楼閣図の章でも言及した第一七二窟の西壁盆〔図角度)は直角に近い角度で折れ曲がり「縦方向・外沿」はほぼ直立しており,「横方向・外沿jは直線的である。また「外沿・上方隅」は直角に近い。全体として寵の平-347-

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