面は半円形,寵口部の立面は長方形に近い。このほか盛唐期の第三二八・二一七・三八七・三二0・四五窟についても調査した結果これらの洞窟における以下のような大きな方向性が見えてきた。「垂下境界線Jは弧を描き,寵のプランは半円形に近いものが多い。「上方・横境界線」は,次第に角度が小さくなっていき,直角に近い角度で折れ曲がるようになる。「縦方向・外沿j「横方向・外沿」はともに直線的で,I外沿上方隅」は弧を描くことなく,直角に近くなる。一方初唐窟の寵形式は,宝楼閣図の分析の際に取り上げた洞窟を中心に調査を行った結果,いくつかに分類されることが分かつた。別表3で同種のトーンによって示した洞窟の聞には共通性が見られる。まず第三二九〔図9〕・三三一窟が上記の盛唐窟と異なる点は,「垂下境界線」や「上方・横境界線」など,寵内各面の聞の境界線がいずれも不明確で、あることだ。また,寵口部立面も長方形にはほど遠く,「縦方向・外沿j「横方向・外沿」は緩やかな弧を描いて外側に膨らみ,「縦方向・外沿Jは上方が内側に傾斜していく。ここで興味深いことは,宝楼閣図の分析によって,その技術的傾向に共通性が見られた第三二九窟と第三三一窟の間には,西壁禽の形式にも共通性が見られることだ。また,宝楼閣図をめぐる技術的傾向の点では,この両窟は第二二0窟に近い傾向を示していたのにも拘わらず,禽形式の点では大きく異なることも注意をヲ|く。第二二0窟はまさに方形の箱のような形をしており,寵内各面の聞の境界線は,かなり明確だ。これは,ある一つの面からだけでは解明することのできない,初唐窟の多様性を物語っていると考えられ,今後別の面から再検討する必要がある。いずれにせよ,洞窟の位置,規模,西壁寵の細部の形式のいずれの点においても,第三二九窟と第三三一窟の聞に共通性を確認することができたことは,宝楼閣図をめぐる分析結果を傍証するものとして興味深い。国年代を廻って次に,第三二九・三三一窟の年代について考えてみたい。前述したように,両窟は隣接していることから,その造営年代は接近していても不思議ではない。そして第三二九窟の西壁寵内頂部には,托胎霊夢,出家除城,雷神,飛天等が表わされているが,洞窟内のこの場所にこれらのモチーフを配置させる手法は,時窟(第三九七窟等)には見られるが,盛唐期には見られない。このことは,第三二九窟が,相対的に言って初唐期の中でも年代上早い方に属することを思わせる。348
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