年11月)の69〜73頁「斜投象的空間jの項,同氏「図学と絵画空間」(『東京芸術つd(9) 楼閣によって浄土を象徴するという考え方については,部健吾「敦埠莫高窟第三(11) 「視線」とは,描出される対象の各点と視点とを結ぶ直線のこと(小山清男「図学(16) 拙稿「敦士皇莫高窟・唐前期壁画における制作技法の変化一「型」と画面構成の関(8) 『大正新修大蔵経』第14巻,第418頁下段に「爾時兜率陀天上。有五百寓億天子。名第六観J,同巻344頁下段に「生彼国時。此人精進勇猛故。阿弥陀如来与観世音及大勢至無数化仏百千比丘声聞大衆無量諸天。七宝宮殿Jとある。一一天子皆修甚深檀波羅蜜。為供養一生補慮菩薩故。以天福力造作宮殿j,同巻第418頁下段〜419頁中段に「五百寓億宝宮J「四十九重微妙宝宮」「持宮四角有四宝柱一一宝柱有百千楼閣Jとある。二0窟試論」(『仏教芸術』一三三号,仏教芸術学会編,毎日新聞社,東京,1980同注2前掲書の『敦士皇石窟内容線、録』において初唐期窟とされているものであっても,今後さらに多方面に亙る比較を行った場合,洞窟によっては,その年代観を調整する必要が出てくる可能性もある。しかし現時点では,「初唐窟」と言う場合,『敦埋石窟内容穂録』において初唐窟とされているものを指すことにする。と絵画空間」『東京芸術大学美術学部紀要』第四号,1984年3月,40頁)。また本稿で言う「視点」とは,「鑑賞者の視点」ではなく,画工が対象を描出するときの「画工の視点jを指すものとする。同本稿において「右j「左」という場合には,視点から画面に「向かつて右J「向かって左Jのことである。同小山清男『幻影としての空間図学からみた東西の絵画』(初版,東信堂,東京,1996大学美術学部紀要』19号,1984年3月)の40〜42頁「カパリエ投象」の項を参照。同筆者の言うところのI型は小山清男氏が注目前掲書の52〜64頁において指摘している,日本の浄土図に見られる「斜投象的な」建物の描き方に当たると考えられる。斜投象のうちで,立画面に投象するものはカパリエ投象と言われる。同日本の建物の図における軒裏の描かれ方に注目した論考として,千野香織・西和夫『フィクションとしての絵画美術史の眼建築史の眼』(新装版,ぺりかん社,東京,1997年)の16〜20頁,小山清男氏の注目前掲書(58頁)がある。係−」(『美学J第四十七巻第三号(187号),美学会編・発行,東京,1996年12月)年11月)18頁を参照。
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