はおそらく1970年代に施された修復時と思われる。三面ともに,「嗣治Foujita1929」とのサインがある。藤田の「幅12メートル」というのは誇張で,当時の写真や作品の現状を見るかぎりサイズの変更はない。場面設定は長崎に外国人が渡来して船から荷物を降ろす光景で,16世紀後半の「南蛮扉風jに源泉を見いだすことが出来るものの,裸体の群像表現で金碧かつ油彩画という点は藤田の独創であろう。遠景に湾内に入ってくる帆船が描かれているが,主眼は近景の裸体表現,当時目指していた群像表現にあった。W字型に数多くの人物が配置され,甲板上で下船を待つ人々とその荷物,そして伴われた犬猫である。基本的な構図は前年のベルネム・ジ、ユンヌ画廊に出品した下絵を踏襲しているが,ライオンや裸体画など西洋文明を象徴する文物は除かれ,人物を近景に港の遠景が加えられて,さらにその背景は金箔地となっている。それぞれの人物をよく観察すると,白人だけでなく,黒人女性,サリーをまとったインド女性,ラテン・アメリカ風の日に焼けた彫りの深い女性がいる。裸体が大半を占める中で,画面中央の当世風の白いワンピースを着た女性は,当時の彼の妻でベルギー出身のユキかも知れない。また,男性と女性の肌は微妙に色が異なる。男性は肌色が強く,筋肉表現のために微妙な隈が墨で施されており,大半の女性の肌はあくまでも白く,隈も淡い。藤田が男性の裸体を本画に描いた例は極めて少なく,先述した〈栃木山)(1926)を除けば,この時点まで皆無に等しかったが,この壁画のために男女の裸体デッサンを重ねていた〔図6〕。そうした素描群の内51点は,同年10月に東京朝日新聞社社屋での個展で展示即売され,現在,彫刻の森美術館など国内で数点の所在を確認できる(注8)。完成作では,女性の体つきや容貌の多様性に比べ,男性表現は経験不足か,特定のモデルに様々なポーズを取らせたためか,いささか類型化している。下絵のタイトル「労働」を考慮すれば,男性は「労働者jを象徴するのであろう。もちろん,それぞれの人体は藤田独特の繊細な線,微妙な隈で慎重に描かれており,1920年代前半の千皮の平面的な裸婦(〈ジュイ布のある裸婦>1922年,パリ市立近代美術館蔵など)より主体感を増している。藤田による裸婦は1926年前後から急速にモデリングが強くなり,ニモデルのポーズも単に横臥したものから多様な動きを見せはじめていた。この日本館切人物群像にはーっとして同じポーズはないが,各人の関係性の希薄さが総体として「切って貼ったような」印象を与えているように思う。マッスや動きの表現にあまり適さない彼の技法と,群像表現への意志とがせめぎあった結果ではないだろうか。たJ(注7)ものである。当初から作品は三枚に分かれていたが,板が裏打ちされたの-27
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