鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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がる。細い柔和な墨線を基調に伸びやかに描かれ,淡い色彩で極めて洗練された印象を与える。上部に墨で「悌こそいのちと身とのあるしなれ我ふるまいもわかこころ口ハ南無阿弥陀悌Jと賛が記される。これは,一遍の『偶領和歌J所収の「京都御化益の頃,西園寺殿の御妹の准后へ進ぜらるる御返事のおくに,仏こそ命と身とのあるじなれわが我ならぬこころ振舞」と同工の和歌である。清浄光寺(神奈川)蔵神奈川県指定文化財〔図2〕画面向って右に,向って左を向いて立つ一遍を,左に六字名号を配する。傷みで細部が分かりにくいが,(1)の神奈川県博本同様,賦算をする姿にあらわされている。一遍は,唇に朱を入れるが,他は墨色が主体で描かれる。六字名号は,一遍様といわれる書き方で金泥で大書される。名号上部は天蓋を,下部には緑青の蓮台を配する。画面上部には,向って右に朱,左に緑の色紙形が描かれ,墨書で一遍作の六字無生の煩「六字之中本無生死一声之間即証無生」が書かれると思われるが,後半部分は傷みで判読できない。画面上下は牡丹文の描表装が施されるといわれているが,雲のようにも見え,不祥。清浄光寺(神奈川)蔵〔図3〕画面向って左に,向って右を向いて立つ一遍を,右に六字名号を配する。(1)・(2)の画像とは左右逆の配置である。一遍は,基本的に(1)の像と同様の相貌,服装に描かれる。阿弥衣には細かい線を用いて質感を出しているが,形式化が進んだ感は否めない。墨で大書された六字名号は,一遍様の名号である。画面左上には,六字無生の煩が墨書される。高宮寺(滋賀)蔵〔図4〕図様が判然としないのが惜しまれる。特に手の部分が分からないが,前に両手を差し出していることから,恐らく賦算をする姿なのであろう。通例の一遍像同様,阿弥衣の上に袈裟を着しているが,後ろから風が吹いているようになびいている。顔も判然としないが,斜め上を見上げ,目の両端に朱をさしているようである。二本の大きい前歯もかろうじて判る。この作品の特異なところは,縦長の朱の枠の中に六字名号を(2)一遍上人画像l幅鎌倉時代〜南北朝時代絹本著色縦57.lcm横24.3cm (3)一遍上人画像l幅室町時代紙本著色縦51.Ocm横30.5cm (4)一遍上人画像1幅室町時代絹本著色縦42.9cm横23.5cm (3)同様,向って左に一遍を,同じく右に六字名号を大書する。全体に傷みが激しく,362

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