鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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363 (5)一遍・僧尼踊躍念仏図1幅南北朝時代縦104.5cm横41.Ocm 配することである。この名号は,いわゆる一遍流といわれるものと多少異なる。「無Jと円ホ」が特に違うが,全体的な字の形から判断すると,一遍流を意識して描いた可能性も捨てがたい。この名号も(2)の清浄光寺本同様,名号の下部には蓮台が描かれる。上部に天蓋を配するかは傷みのためよく分からない。金蓮寺(京都)蔵未調査六字名号を中心に,踊り念仏をする時衆を描く。一遍を画面下ほぼ中央に,向って右には僧を,左には尼の時衆集団を配する。一遍は向って斜め右を向き,称名をするように半ば口を開け,阿弥衣を着し,素足で左足を前に踏み出している。手の部分はよく分からない。時衆は,鉦鼓を打ったり合掌したりしながら,悦惚状態のようにあらわされる。『一遍聖絵』の踊り念仏の中でも,時衆が或いは思いきり上を向き,或いはにこやかに踊っているのに対し,一遍は冷静な表情であらわされ,意識的に区別されている。六字名号は一遍流の行の名号と呼ばれるもので,上には天蓋,下には蓮台が配されている。二他阿上人真教の画像真教は,中風を患いその後遺症で顔面がゆがんだように描かれる。その明らかな特色のため,像主を判断しやすい。『遊行上人縁起絵』第八巻第二段には,板垣入道という真教の弟子の一人が真教画像を前に往生する場面が描かれる。そこに見る真教は,指先を斜め下に向けて合掌し,上畳に坐す姿であらわされる。現在,『遊行上人縁起絵』中の真教像のような画像の坐像はほとんど確認することはできない(ただし,彫像には坐像の遣例がある)。また,『他阿上人和歌集』の中に「老ラクの跡ヲムナシトユフックヒ山ノ端近ク影ぞかたふく遊行什物筒御影ノ白詠ハ自筆也」とある。「筒の御影jと称される,真教自筆白詠の和歌が記された寿像があったというのである。この三点から,既に真教の生前から彼の肖像画が制作されていたことが指摘できるのである。中世にまで遡る真教の単独像の作例は三点しか確認されていないが,真教の場合,一遍像と対で制作された可能性が考えられる。『遊行上人縁起絵』に見る板垣入道の所持していた真教像は,直接の師である真教であるから真教像だけが掛けられているが

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