鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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らかである。肉身は黄褐色で\唇には朱をさし,肉身娘は肥痩のめだたない細い線を用いている。髪や眉,髭の毛筋を細かく描き入れ,そのいずれにも白いものが混じる。明らかに老年の姿の真教像である。(6)の称念寺本や(7)の清浄光寺本,さらに『遊行上人縁起絵』に見る真教は,ふっくらとした顔をしているが,この像のように頬が少しこけたように表現するのは珍しい。画面上部には日輪ゃなだらかな山々,宝樹などが描かれ,宝樹あたりから真教に一筋の光明が放たれている。真教の立つ金色の蓮台は,金の宝池から生じ,その蓮から二本の茎が分け出て,それぞれ画面右下の二人の人物が手にしている。一人は法体の僧,もう一人は俗体で,侍烏帽子をつけていることから武士のようである。僧形の持つ蓮は開敷蓮華,俗形の持つ蓮は未だ苔の未敷蓮華で,二人に区別がなされていることが分かる。さらに,真教から二人に放たれた光明は,僧形に三筋,俗形に一筋と,ここでも明確な区別がなされている。宝池からは真教の立つ大きな金色の蓮台のほかに五色の蓮が生じ,化生童子や孔雀や鳳風など鳥の姿も見える。本作品は,平成八年度に修理がなされたが,修理前の表具の八双裏には「当寺開基遊行二祖上人,当山初代切阿上人,高官左衛門尉宗忠御影」と記されていた。勿論制作当初の書体ではない。蓮台の上の僧は,その特徴的な風貌から明らかであるから,「遊行二祖上人」というのは確かである。下段の二人は,高宮寺の草創事情から考えるに僧形と俗形ということは,開山と檀越と思わせる組合せである。僧形のみ,または俗形のみが描かれるのであれば,それほど特異性は感じられず,人物を一般化して特定の人物としなくてもよいのかもしれない。しかし,真教と二人の人物が分かちがたく結びついており個人的な制作背景が強く感じられるのである。これは,真教を開基とする高宮寺の草創を物語る作品と考えてよいであろう。ここで想起させられるのが,開山とその檀越を連坐形式であらわしている「浄阿・波多野道憲対向図J(京都・金蓮寺蔵)である。ここでは高宮寺本でみるような超越的な存在は描かれないが,開山と檀越の関係を同一場面に描く例として注目されるものである。三一遍と真教の肖像に対する考え方の違いところで一遍は,「我化導は一期ばかりぞ」と常に述べ,死ぬ前に自分の著作物も焼

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