音の見え給はぬ間,いかなる謂にて侍やらんととひ給へるに,仏日,観音をば済度利生のために裟婆へっかはす。その名を他阿弥陀仏と号す。勢至菩薩をもつかはしたりき,一遍房といひしが,帰来れる也」とある。ここでは,一遍が勢至菩薩に,真教が観音菩薩に比定されており,二人の知識は決して阿弥陀そのものであることはなく,まさしく「阿弥陀の使者Jとしての役割を担っているのである。高宮寺本の真教像は,上方から一筋の光明が真教の頭部に向って差し,真教から二人の人物に向って光明が放たれている。この光明と蓮台に立つ姿から,ここでの真教は,一見するとあたかも阿弥陀来迎図中の阿弥陀仏であるかのように表現されているが,真教に向っても上方からも光が放たれていることから,真教は阿弥陀仏自身ではなく,阿弥陀仏と信者を結ぶ役割,まさに『奉納縁起記』にみる「阿弥陀の使者」としての役割を担っていると考えられよう。これまで,絵画において「知識帰命jという時宗の思想を表現するということは,知識の像と,それを制作して礼拝するという行為を指す向きがあった。しかし,高宮寺本によって,知識は阿弥陀の使者であり,使者を通じて信仰者と阿弥陀が強く結ばれているという,一歩踏み込んだ具体的な表現もとられていたことが確認できるのである。おわりに一遍と真教の画像はその多くが,背景がなく,賦算を行なったり合掌したりする姿で描かれ,その偉業を極端にほめたたえるような神格化は見られない。時宗では,知識帰命という思想から,祖師像(ここでは二祖真教像を含む)を重視するとされているが,他の宗派の祖師像と比べて特に知識帰命の考えを前面に出しているとは考えにくい。むしろ,等身大の人間像に近いと考えたほうがよいかもしれない。一方で,高宮寺の他阿真教像のように,超越的な存在として描かれる作例もある。しかしそれはあくまでも阿弥陀仏の傘下での知識であり,阿弥陀仏の使いゆえの絶対者であると考えられていて,阿弥陀仏と知識の聞に厳然たる区別がなされていたと推測されるのである。それゆえ,一遍や真教は極端に理想化されることもなく,生身の人間に近い像が制作され続けたのではないだろうか。今回の調査では,祖師画像を中心に,併せて絵巻に登場する祖師像を見てきた。が,-368-
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