他方の〈馬の図〉(油彩/カンヴァス・板パネル貼り,2枚パネル,2.35×6.93m)は,「更に他の一面には駿馬の群を数頭描いた。同じ大幅であり,静と動の二群に分けてこれも亦金箔地とし,藍の空,緑の地として玄関の正面に装置しであるJ(注9)というもので,画面は二つのパネルからなり,両方に「嗣治Foujita1929Jのサインがある。これも広間の人物画同様に,当初から二枚に分かれ,修復に際しパネル仕立てにされた。左画面には躍動する白と茶二頭の馬と二頭の犬,右画面には静かに立ちすくむ三頭の茶色の馬,二匹の犬が描かれている。テクニック的には〈欧人日本へ渡来の図〉と同様だが,両者は設置場所,大きさも異なり,必ずしも対作品として意識されたのではなかろう。馬の輪郭線に繊細な線,筋肉表現のために微妙な隈が施されており,図柄自体は武家風俗図の系統の厩の図や放牧図の伝統を引くと思われる(注10)。左右の動静の対照的な描き分けは,扉風の対の概念を考慮した結果かもしれないが,藍色のすやり雲が扉風に描かれた例はないように思う。それぞれの馬はかなり写実的に描かれているものの,広間の作品同様に有機的な構成感覚に乏しい。藤田は,当時日本美術の研究のため東洋美術を専門とするギメ美術館などに通ったというが,そこで見た複数の図像を再構成したのではないだろうか。もちろん作品を間近に観察すると,躍動する馬と静止する馬は,ポーズだけでなく筋肉表現の上で見事に描き分けられおり,馬の啓部の線はまるで一筆描きのようで,この時期の藤田の卓越した線描力が十分に発揮されている。左面の白馬はジェリコーの描いた馬の躍動感を想起させるほどだが,最近,この下絵らしい大作がフランスで見つかり,修復中である(注11)。元々は西洋の典型的な動物を描こうとしたのか,馬とライオンがテーマである。だが不思議なことに,数多くの裸体デッサンの存在に対し,馬のデッサン類は他には見つかっておらず,それらが当時公開,売買された形跡もない。『パリ日仏協会報告』(仏文)のフランス人記者は,「馬は日本では力を象徴するもの」とし,金地と合わせ,〈馬の図〉を極めて日本的な作品と評しているが(注12),玄関正面という建物の「顔」にあたる場所に設置することを想定した上で,藤田が虎でも龍でもなく馬を描いた意図についていまだ市古論を得ない。ところで,1998年2月に国際交流基金の支援の下,絵画修復家の小谷野匡子氏によるこの壁画調査に立ち会う機会を得た。従来,画面保護のためにアクリルやガラス面で被われていた作品は,何か人工的な冷たい印象を与えていたが,それらを外し,壁から下ろして直に見ることで全く印象を異にした。金地という意味だけでなく,「豊か28
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