⑫ クレーの作品に見られるグ口ッスの影響研究者:東北大学大学院文学研究科美学・美術史専攻博士課程ぴょん下1.はじめにパウル・クレーは,その初期から風刺的な内容の素描や版画を制作してきたが,特に政治的風刺画は彼が一時的にしろ社会主義的運動に関わった1919年前後に目立って制作されている。そのような作品の中には,当時左翼芸術家の中で最も注目されていたジョージ・グロッスの影響を感じさせるものも存在する。本稿は,クレーがグロッスの様々なモティーフを利用し,時にはデフォルメしながら彼の作品の内容を深めたことに焦点を置き,そのような作品の例から,さらにその理由を考察することによって当時の社会的状況と美術運動とどのようにクレーが連動し,そして影響を受けたかということをより明確に究明しようとするものである。ベルリン・ダダイストのジョージ・グロッス(ゲオルゲ・グロッス)とクレーの影響関係についての研究は今まであまりなされてこなかった。それは,カンデインスキーとドローネ一等からの影響のように,彼の公刊されている日記や手紙等にその交流が明確に記されていて,しかも芸術上の影響をクレー自ら明示した人に限って従来主に行なわれた研究に比較すると,十分とは言えない。なぜなら,上でも述べたように,クレーの風刺画風の線描画にはグロッスの影響が感じられる要素が少なからず発見できるし,そして今まで研究者たちがあまり注目していなかったl枚の写真が2人の接点を示してくれるからである(注1)。そして,年は少々離れていても同時代をドイツで過ごし,共に1920年代前後には名声を獲得してそれぞれ第一線で活躍していた両者の中で,クレーはグロッスについて言及したことはなかったが,グロッスはクレーについてあまりポジテイブとはいえないコメントを残している。この事実は,両画家の類似点をーそれが一時的で部分的で、あろうと一,グロッスからクレーへの影響とする考えをより強めてくれる傍証になるであろう。そして,最後に付け加えなければならないのは,ハンス・ゴルツとアルフレート・フレヒトハイムのような二人にとっての共通の画商と,テオドール・ドイブラーのような両人に共に関わった評論家がいたということで,この点は注目に値すると思われる(注2)。さて,これまで僅かになされたクレーとグロッスとの関係論は二つに大別することじんへ異恵-372-
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