4.おわりに真には,グロッスとクレーが,フレヒトハイムとポーズを取っている珍しい姿が見える。さらに,我々は1925年にグロッスが残したクレーに関する論評を読んだときに,その時点以前での後者から前者への影響を考えないのは当然であろう。それはあまりポジティブとは思えない内容で,次のようなものである。今まで見てきたように,クレーは1920年前後の彼の一連の政治風刺画と挿絵等を描く時にグロッスの作品からモティーフを借り,彼なりの創造力で変容することをしばしば行なった。〈ドイツ髭の頭部〉は〈ドイツ冬物語〉からの部分的な選択をして変容した痕跡が感じられるし,〈怒鳴り散らすヴイルヘルム皇帝〉も,グロッスの一連の反軍国主義的な図像の人物表現からのインスビレーションがあると思われる。そして,〈悩む背が低い紳士〉も{G事件〉等からの借用があることを,素描自体が知らせてくれる。そして,そのような作品観察ばかりからではなく,同時代の評論家のドイブラーが二人に共に関わってそれぞれ注目に足りうる賛歌を残していること,そして二人の共通の画商である,H.ゴルツとA.フレヒトハイムもまたほぼ同時にクレーとグロッスの作品販売や展示会企画を行なったことからも,両人の早くからの1929年7月の,共に撮った唯一の写真の時の造かに以前関わりが少なくとも間接的には存在したことを十分想像することが可能である。さらに,グロッスは1925年頃にクレーに対して,否定的な評価を下していることから,少なくとも後者から前者への影響は考えにくい。したがって,O.K.ヴェルクマイスターの研究と共に我々は1920年前後の革命と戦争の後のドイツの激動の時代において数多くの直接的で辛錬な政治風刺画でその名を風廃したグロッスの作品から,クレーが若い頃からアカデミックな絵画と共に常に関心の領域に置いていた風刺画を描く時に,多くの影響を受けたことを確認することができるのである。パウル・クレーはピーダーマイヤ風の裁縫台に座って小娘のする編物の手仕事をやった(注10)。378
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