鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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なJ作品である。40歳代前半の藤田の技術力と構成力の高い完成度を示す典型として,音Eはかなり改装されており,当初二点とも遊戯室(会員がチェスをするサロン)の壁また1920年代前半の静的な裸婦,30年代のメキシコ風の壁画,40年代の人体重く戦争画へとつなぐ核として,さらには贋作の多い藤田作品を研究する上での信頼できる「基準作jのーっとして,両壁画は美術史的,科学的に研究されるべき重要な作品である。間近に観察した際に,人物や馬の輪郭線の一部に金箔がのっていることが看取できた。この事実は,人物などを描いた後に金箔を貼った可能性を示すが,詳しくは科学的な調査の実現を待ちたい。残念ながら,制作後約70年を経たこの作品の状態は決してよくない。1970年代の修復の際に受けた背景の金地の傷みがひどく,人体,動物部分も含め,画面全体に亀裂が多数発生している。さらにはその亀裂にそって絵具の浮き上がりが目立ち,表面のニスも黄変しており,特に入口正面奥にあって外気に触れる機会の多い〈馬の図〉の傷みはかなり進んでいる。こうしたダメージを修復し,オリジナルに近い状況を回復することが急務である。II.パリ連合国退役軍人クラブの壁画同じく1929年に藤田が手掛けたのが,パリの連合国退役軍人クラブ(Cerclede l’Un-ion interalliee)の壁画である。この建物は,第一次世界大戦の戦勝国が親睦のため,パリ中心部シャンゼリゼにつくった施設であった。この壁画もまたキャンヴァス地に油彩で,全体に金箔の貼られた花鳥画風の二作品であるが〔図7,8〕,藤田は雑誌『改造』に発表した「現代壁画論jの中で「会長ボーモン伯の依頼で七枚金箔地の大壁画各二聞にー聞を描いた。陸鳥と水鳥と丘の花と水に咲く花々を描いたJ(注13)と述べている。これまで作品の存在はこの文章によって知られるのみだったが,98年10月の調査によりその現存を確認した。現在も軍関係の施設で一般には非公開であるが,日本館の壁画との対比のため特別に実見を許可された。建物自体は旧来のままだが,内を飾っていたが,修復の後,一点は別棟へと移動されている。日本館のものに比べ,限られた人数だけが出入りする奥まった場所に設置されていたことと,修復方法が適切だったのか(日本館の処置とは明らかに異なる),現段階での作品状態は安定している。この作品については,壁にかかった状態で,表面保護用のガラス越しにしか調査できなかった。サイズは両者共に全体で1.45×6.5mで,それぞれ4枚パネルに分割され-29-

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