鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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⑫ カンディンスキーの作品におけるキュビスムの造形的関与研究者:早稲田大学文学部助手本研究は「カンデインスキーとキュピスム」をテーマとした研究計画の一環である。当研究計画の目的は,これまで否定的に捉えられ具体的に論じられることのなかったカンデインスキーとキュピスムとの繋がりを再考し,カンデインスキー作品へのキユピスムの造形的なかかわりを明らかにすることにある。もっとも,カンデインスキー存命中から彼とキュピスムを結びつけて考えようとする批評家はいた。たとえば,彼の死の数年後に書かれたクレメント・グリーンパーグの評論では,カンデインスキーがその芸術の多くをキュピスムに負うているとしている。しかしその評論は具体的な指摘に欠けており,キュビスムの偉大さを示さんがためにカンデインスキーの芸術をキュピスムより劣るものと捉えているに過ぎない(注1 )。こうした非難めいた論考に晩年のカンデインスキーは砕易していたきらいがあり,ことあるごとにキュピスムや他の画家との影響関係を否定している(注2)。そもそもカンデインスキー自身,キュピスムとはまったく関係なく「抽象絵画Jを創始したと断言していた(注3)。カンデインスキーがそれに先鞭をつけたこと,しかも「抽象絵画創始者jとしてなにものにも拠らずそれを独りで切り開いたことを強調し,美術史に名を留めたかった,という心情も想像に難くない。また彼を後押しするかのように,1950年以降,カンデインスキーの研究者たちは両者を別のものとして切り離す傾向にあったし,かえってその繋がりを否定的に捉える方が多いのである(注4)。カンデインスキーは自身にとってとりわけ重要でモニユメンタルな意味を持つコンポジションと名の付く大作を生涯に10点制作したが,そのコンポジションを2点所蔵するデユツセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン美術館で,1980年12月に興味深い展覧会が聞かれた(注5)。「ヴァシリー・カンデインスキー:その30年を三つの主要作品で語る,教育的展覧会」と銘打たれた展覧会は,すでにクレー作品において行われ好評を博した展覧会に倣うかたちで催され,館所蔵の,1910年代,20年代,30年代に描かれたカンデインスキーの代表作それぞれ一点を別の画家が同時期に描いた作品と比較し,続いて各年代ごとにカンデインスキーの作品を並べて,彼の画家としての歩みを辿るものである(注6)。1910年代では,1911年の〈コンポジション町〉真野宏子-381-

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