〔図l〕にブラックの1912年のキュピスム作品〈ハープとヴァイオリンのある静物〉〔図2〕(注7)が対置され,その説明からは,それぞれの相違点が語られて,どこにも類似点は読みとれない。展覧会の主旨からいっても三作品をはっきり区別し,それぞれの特徴を分かりやすく説明し,カンデインスキーの独自性を浮き彫りにすることは重要であったろう。しかしそれに続く諸作品と美術状況の解説でも,カンデインスキーの初期作品に象徴主義,ユーゲントシュテイル,フォーヴイスムの流れを見ながら,彼とキュピスムの繋がりには触れられておらず,いわばカンデインスキー解説の「王道」をそのまま踏襲するかたちをとっている。同様に,1995年にニューヨークとロスアンゼルスでカンデインスキーのコンポジション10作を一堂に集めた展覧会が開催されたときにも,そのカタログで,彼の芸術にとってキュピスムの絵画表現は相容れないものだと簡単に片づけられてしまった(注8)。すなわち,カンデインスキーの作品とキュピスムとを異なる芸術運動と考えてきた状況は,依然続いていたのである。そのようななか,私はこれまでに,ピカソとブラックの分析的キュピスム期の作品とカンデインスキーの初期「抽象絵画jについて,拙論で若干の考察を行ってきた(注9)。本論では,同時期のカンデインスキーとロベール・ドローネーの作品に見られる造形上の諸特徴を比較・検討し,カンデインスキーの「抽象絵画」成立期におけるキュピスムの重要性を,ドローネーの作品をとおして確認することを試みるが,本論の前提として,以下にまず先の拙論の要旨と補足を記しておきたい。II 多くの画家がキュピスムに傾倒していった1910年代前半,モンドリアンやマレーヴイツチなど抽象絵画の祖と呼ばれる画家たちもキュピスム的な作品を制作しており,そうしたキュピスム体験が彼らの抽象絵画の出発点となったことは,もはや常識となっている。一方,カンデインスキーについては,先に触れたようにキュピスムとの関係についてはその可能性を示唆する言及が見出されるくらいで,重要視されないばかりかむしろ否定的な意見の方が目立っている。確かに当時の彼の作品には,他の画家の作品に見られるようなキュピスム的な特徴が見出し難い。この時期のカンデインスキーの作品は,表向きは対象を排除したものである。しかし,一見何の意味も持たないかのような形態と色彩から成る彼の絵画が,実は何らかの具体的な対象を単純化し,様々な色彩の中にその形態を溶かし込んで、いったことは,先学の研究で解明されてい382
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