鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ている。各パネルの大きさは不統一で,サインが一番右のパネルにのみ「嗣治Foujita1929Jとある点を考慮すると,当初は一面だった可能性もある。サロンに飾られた壁画では,鶏,雑,鶏など「陸鳥jと菊,芥子,百合などが描かれ,藤田得意の猫が鳥たちを狙っている。施された色彩は暖色傾向である。これに対し,別棟にある作品では鴨や鴛驚などの「水鳥jが水辺と岸辺に集う様子で,寒色傾向である。画面全体には金箔がおかれ,その中央を藍色の色帯がわたっている。それは日本館の〈馬の図〉の上下に描かれた「すやり雲」と同様の色調であるが,ここで、は水辺や岸辺を表す。この藍色の帯を除けば,花鳥の表現は伸びやかでやわらかな筆づかいで、,淡彩である。細かに観察すると,金箔の上に花鳥が描かれており,淡彩の下から金地が光っている。特に花々の表現は,琳派のように,輪郭様だけをやわらかに付して,色彩をほとんど施さず,地の金色を生かす工夫がなされている。遊戯室にふさわしい,寛いだ雰囲気の絵画である。この作品に関する資料や下絵類は当の会館でも今のところ見つかっておらず,一般公開されたこともないため雑誌などに言及もない。「会長ボーモン伯」は藤田のコレクターでもあったらしく,会長自らが第一次大戦の「連合国」の一員でもあった日本出身の藤田に日本風に描くよう注文した可能性は十分にある。そして藤田も特定の扉風のコピーではないものの,パリにあった扉風類,版本類を参考に「扉風らしい表現jを心掛けたと思われる。非常にリラックスした描き方からして,かなり短時間に描かれたと予想する。報酬は不明である。制作時期についての決定的な資料は未だ確認できないが,遅くとも1929年4月には完成していた日本館壁画の直後と考えたい(会館自体の創建は1917年なので,建築の側面から制作時期の特定は不可能である)。なぜならば,日本館以前に藤田のパリでの壁画例はなく(注14),その開館式典はフランス大統領も参列するなどかなり大規模で,多くの識者の目に触れた可能性が高い。その評判を受けて,この油彩による「金扉風」の注文がなされたのではないだろうか。藤田は同年9月に妻ユキをつれ日本に帰国し,翌年まで滞在するので,この9月以前の完成であることも確かである。この時期に藤田が制作していたことが確かな作品の一つに,先年国立西洋美術館に寄贈された〈坐る女〉(油彩・金箔,カンヴァス,110×125cm)〔図9〕がある。画面右下に「巴里嗣治Foujita1929Jとのサインがあるが,画面裏面の木枠の「juillet1929J との画家自身による書き込みが,この年の7月の完成を証言する。この作品の場面設定は,金地(金扉風)の前の寝台に座る西洋婦人である。20年代後半,藤田にはブル30

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