i4 ウ⑩ 岸派絵画資料の調査研究者:財団法人富山佐藤美術館学芸員小久保啓一はじめに岸駒は,江戸時代後期の京都画壇において,応挙や呉春に伍して活躍した画人である。応挙の門から出発し,有栖川宮家に出入りを許されたことに出世のきっかけを得,当代一流の画家として認知され,やがては門人多数を擁し,明治まで続く「岸派」を形成してゆくが,今日では,岸駒や岸派の画業に対する関心や評価は必ずしも高いものではないといえよう。しかし,越中あるいは加賀の出身とされる岸駒は,筆者の所属する美術館が所在する富山などでは,いまだに知名度のある画家であり,当館では,昭和62年に,「岸駒j展を没後150年を記念して開催したが,最近では,岸派および岸派の門に学んだ地方画家達の活動を紹介する展観も開催されたり,刊行物も編集されるようになり(注1) ' 岸派に対する関心も徐々に広まってきているようにも思われる。この岸派に伝来した模写や画稿などのいわゆる粉本類が,今回調査の対象となった絵画資料で,特別展開催に際して行った調査により,初めて全貌に接したものである(注2)。同展図録にその一部を紹介することができたが,量の多さもあって,その全体像を詳細に検討するにはするには至らずに所有者にお返ししていたが,幸いにも,先年,所蔵者の格別のご厚意により,岸駒ともいささかの縁がある当館に一括寄贈して頂くこととなった。1.当絵画資料の伝来この資料は,平成9年度,金田昌子氏より,財団法人富山美術館に寄贈された。金田氏は旧姓を岸とし,岸駒・岸岱・岸慶・岸誠と続く岸派宗家の七代目にあたられる。氏のお話によると,この資料も,おそらく岸家伝来のものと思われ,すでに氏が幼少の頃の記憶に存在したという。ご記憶によれば,絵師岸派ゆかりの文物として,柳行李に詰まった粉本類の他に,岸派の掛物,粉本の貼交扉風,手文庫に納められず、っしりと重い岸派の印章,「同功館jを織り出した白地金欄,岸駒所持という虎の頭と四肢などが伝来していたという。岸家は,氏のご父君,穎吾氏の時代,東京青山二丁目に居を構えておられたが,太
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