4枚から10枚以上が約3mm程度の糊代によって紙継ぎされている。2.当絵画資料の概要と整理方法平洋戦争後半,東京が空襲されるようになると,伝来品の致損を恐れた穎吾氏は,宮中女官として御所に上がっておられた実妹山口富子氏のもとに粉本類の行李と虎脚などを託される。しかし,手元に留められた掛物・扉風・印章などは残念なことに擢災し灰憧に帰してしまった。終戦を待たずして,穎吾氏は鬼籍に入られ,一人娘の昌子氏は,戦後,結婚されて金田姓となるが,粉本類は,その後,昭和38年頃,虎の四肢ともに富子氏から,昌子氏のもとにかえり,以来,金田家に蔵されたという。金田氏が転勤がちであったこともあり,一部に失われたものもあり,また,一部は表具されて掛幅となったものもあるが,ほほ伝来の姿のまま,富山美術館(現富山佐藤美術館)に寄贈されることとなった。ちなみに,穎吾氏は,山口家から岸家に入られ家を継がれたが,山口家と岸家の関係は,三代前にさかのぼり,岸駒の長男岸岱の娘菊が穎吾氏の祖父邦昌氏に嫁いだことに始まる。山口家は代々,外記方の地下官人として朝廷に出仕する家柄で,官方ではあるが主殿寮生火官人であった岸駒と何らかの面識があったのかも知れない。富子氏もこうした関係から宮中女官として出仕された訳で,岸駒以来の宮廷周辺との縁がこの絵画資料を助けたともいえる。今回整理した岸派の絵画資料の品質・形状・寸法・書き込みなどの概要について,以下,簡単に紹介する。すべての資料には何らかの絵が描かれており,この面を表面とすれば,表面を内側にして,ほとんどの資料が,縦約25〜30cm・横約15cmの大きさに折り畳まれている。これを広げた時の大きさは,大きなものでは縦212.0cmに横174.Scmというものもあるが,堅物にしてSOcmから140cm前後のものが多い。襖絵が縮図された横長画面は,4m前後に紙が貼り継がれたものもある。また,大画面のものや双幅・三幅対については,複数の紙に描き分けられており,一括の資料は袋にまとめられるものもある。資料の素材は,「御直衣地紋jを描いた一枚のみが絹本で,あとは紙本。墨画されて,うち半数弱に彩色がほどこされ,一部には朱筆による訂正も見られる。紙の種類は楕紙と唐紙が多く,薄美濃や画筆紙を用いたものもある。椿紙は,小判であるので,3・ほとんどの画面は料紙の片面のみに描かれるが,例外的に大まかなスケッチ風のも-418
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