〈「天」および「紫」に分類されるもの〉まず,「天」および「紫」に分類される資料は「天」が191件「紫」が112件であわせは,そのほとんどに表題が付くが,そこには「虎頭館所図卓堂摸」とか「先生所製三峰摸」などの記載があるので,何かの模本であることは容易に想像がつく。ただし「天開翁先生所図」「先生所図jのみで模写者の名を欠くものもあるが,落款位置を写したり注文者の名前を記していたりと,「摸jと記すものと共通点があり,やはり一連の資料と考えて良いと思われる。完成された絵画のイメージに非常に近いことがこの分類に属する資料の特色であるが,表現のみにとどまらず,212cm×174cmを最大にしてかなり大きな画面をもつものから小さなものまで,恐らく寸法も原すで描かれているようである。たとえば,完成画のサイズを二尺幅としているものが55cm,四尺幅としているもの品と粉本とを比較すると,まさに重ね合わせることができるものがあり,完成画と同寸で描かれていることを裏付けている。重ね合わせてもほぼ一致するような例があるということは,やはり臨摸というより,透写した可能性も否定できない。このことは,使用されている料紙からも想像されるところで,一連の資料はほとんどが透過性のある格紙を用いていることもその証といえよう。大画面の要求に応じるために小判の料紙を紙継ぎし,穆み止めの馨砂を刷く手聞をかけてまで,椿紙を使用する理由は,やはり紙の透過性の問題で,唐紙や画筆紙では透過性が少ないため使いづらかったのではなかろうか。模写の方法や対象となった原本の問題,また,この模本の用途については今後検討してみなければならない。いずれにしろ完成絵画と近い位置にある模本が多く,原本を想像するのに充分な資料と考えられる。ちなみに,符丁の「天」と「紫」であるが,「天Jでもっとも早いものは寛政2年天保10年分は2枚しかなく,墨線のみの略画で他とやや趣を異にするので,この2枚を例外とすれば,天保9年に没する岸駒の生存期間とほぼ一致している。所図者に虎頭館・可観堂など岸駒個人と特定できる号がふくまれており,天を冠した短尺が貼られている資料は,岸駒の本画あるいは下絵を模写したものと考えることもでき,「天」て300件を超え,全体の7割近くになり,本資料の中心的部分をなす。これらの資料にが114cmの料紙に描かれている例があり,また,後でも触れるが,現在遺存している作(1790)の年記を持つ資料に貼付され,遅いものは天保10年(1839)の資料に貼られる。421-
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