鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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⑨ 日月初「洪武様式」の青花・柚裏紅磁器の研究一一遺品から推定される官窯設置年代一一研究者:静嘉堂文庫美術館学芸員はじめに中国明代の最初期,洪武年間(1368〜98)を中心に江西省景徳鎮窯で製作された,青花(染付)磁器及びそれと全く同じ文様形式をもっ柚裏紅磁器の作品群は,今日「洪武様式」と称されている(ただし,これには同時代に製作された単色粕磁,型押し装飾の磁器等は含まれない)。この様式の存在を初めて提唱したのはJ.A. POPE氏(米国)であり,氏の1950年代における論稿がめざましい研究の進展をもたらした(注1)。以降,「洪武様式」の作品群は,その前後の「元(至正)様式」ゃ「永楽・宣徳様式」とは異なる様式として捉えられるようになった。しかし氏の「洪武様式jの定義は,「前後の様式の,そのどちらにも属さない中間的な特徴をもっ」というものに止まり,その定義に暖昧な部分を残していた。筆者は,POPE氏が先の仮説を提唱した頃より格段に資料が増加した“洪武様式と目される作品”(写真資料)を出来る限り収集し,器形や文様形式に着目して詳細な調査を行なった。その結果,洪武様式の青花,柚裏紅磁器は,前後の様式の作品と明確に区別しうる形式的特徴を持つことが明らかとなった(注2)。主文様に関していえば,元様式に数多く見られた龍,鳳風文をはじめとする動物文様や葡萄などの西方的なモチーフが一切描かれなくなることが大きな変化としてあげられるが,また副次的文様(雷文・波涛文・蕉葉文・蓮弁文)がその時期独自の形式を備えることも,洪武様式の作品群が持つ重要な特徴であるといえる。以上の事象から,当時極めて厳しい文様統制があったことが伺われ,それはまた,これらが統制下に生産された「官窯」的作品であったと言い換えることも可能である。つまり,当時政府の統制を受けて製作されたと思われる「洪武様式」作品の詳細な研究を行うことによって,景徳鎮官窯の設立時期という陶磁史上重要な問題がより具体的に考証できるものと考えるのである。現在までいくつかの文献資料からj官窯J設置年代については,明時代の洪武2年,26年,35年のいずれか,もしくは宣徳初年などの諸説が提出されている(注3)。そこでまず,この問題に関係すると思われる出土報告を3件とり上げ,そしてその分析に基づき,洪武様式の出現と,官窯との関係について考察してゆきたいと思う。長谷川祥子448

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