これは元の「御器廠」(至元15年・1278創始)の制度が受け継がれたものであること(注8)。②「明初姿」,いわゆる洪武様式の作品は,洪武10年以降,洪武31年までに焼成されたこと。③永楽官窯の創始は永楽元年(1403)であること。④建文年間(1399〜1402)は,官窯の活動は停止していたこと,などの新たな見解を数多く発表している。2,洪武様式の青花・粕裏紅磁器から推察される統制の様相a,洪武様式の青花・紬裏紅磁器における副次的文様の特徴〔表l〕を見れば明らかなように,洪武様式の作品を前の元様式と,後の永楽・宣徳様式とを明確に区別するための基準として考えられるのが,「蕉葉文」「雷文」「波詩文」といった副次的文様の形式である。これらは,拙稿(注2参照)で「元末〜明初」または「洪武様式」といわれてきた作品(写真資料等)の文様をすべて調べた結果判明した。動物文が見られないこと,植物文様の描かれ方が定型化していること,器形の種類が前後の様式と異なり,そのフォルムにも特徴があることなどとともに,副次的文様の形式は洪武様式作品の重要な特徴のひとつである。今日までのところ,洪武様式の中に例外は殆ど見られない。大部分の磁器にはこのいずれかの副次的文様が,一つは採用されており,識別も容易であることから,考古資料など間片から洪武様式作品を選別する場合においても確実な手掛かりとなるものであろう。b,洪武様式全器形における蓮弁文について景徳鎮出土の新資料が加えられたことにより,洪武様式の青花・粕裏紅磁器はその出現当初から官窯機構といった統制の下で製作されていた可能性はいよいよ高くなったと考えられる。それは,副次的文様(具体的には「蓮弁文」)を詳細に観察し分析することによって明らかとなった。洪武様式の作品においては,副次的文様の種類や形式のみならず,それが描かれる器形や位置の聞にも厳密な規則が存在していたことが〔表2〕から伺われるのである。〔表2〕は,洪武様式の作品における全器形と,器物に蓮弁文がある場合,どの器形にどのデザインの蓮弁文が採用されているかを対応させて図示したものである。これを見てゆくと他の副次的文様とは異なり,蓮弁文においてはほぼ全ての器形について,それぞれ定まった蓮弁文のデザインが存在していたことが理解される。これは,元様式にも,永楽・宣徳様式にも見られない特徴である。1994年の景徳鎮出土資料を考察451
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