注ぴ「官匝Jと印の入る鞘の出土資料が,洪武様式の作品群と伴出したことを根拠として,「官窯J洪武2年設立説をとっている。これまでみてきた考古資料からは,洪武様式の作品は洪武宮の下限(建丈4年,1402),永楽の地震(永楽団年,1420)以前に製作されたことが明らかだが,元から明時代にかけて,景徳鎮の優品が輸出されていた西方イスラム圏の宝物を今も伝えるトルコのトプカプ・サライ(宮殿)と,アルデビル廟所蔵の中国陶磁の作品数を調べると,両者とも元時代と永楽(宣徳)期の青花磁器と比べて洪武様式の作品が極端に少ない(注9)。これはまさに各皇帝の治世時における海外との交渉の様子を表すものであり,j共武様式はほぼ洪武期(年間)に重なって製作されたものであることが理解される。よって,筆者も洪武2年に官窯が設置されたとする説に同意したい(注10)。この度,近年公開された,より多くの洪武様式資料を検討することによって,洪武様式の殆どの遺品が,「官窯」的機構,統制の下で製作されたという可能性を強くする結果となった。それはつまり,洪武様式の製作がはじまったその時が,官窯の設置とはなれてはいない時期であったとみられ,これまで文献上の研究で議論されていた各説のなかで,洪武2年に設置されたとするのが最も妥当であると結論されるのである。lains in the Topkapu Sarayi Miiz巴si,Istanbul, Freer Gallery of Art Occasional Pap巴rsvol. 2 , no. 1 , Washington D. C., 1952 I Chinese Porc巴lainsfrom the Ardebil Shrine, Freer Gallery of Art, Washington D. C., 1956 137号,1991年12月/中沢富士雄・長谷川祥子『中国の問磁⑧元・明の青花』(第三章長谷川祥子執筆部分),平凡社,1995年『景徳鎮陶録J巻五,『大明会典J一六一「器用」の条,『浮梁県志』巻二,建置の条。洪武26年説一一『諸司職掌』工部職掌,「陶器Jの条,『大明会典J一五七「悶器」の条。洪武35年説一一『江西省大志』巻七,「陶書・陸氏続補」,『重建勅封高碩師主祐陶廟碑記』,『関中王老公祖鼎建胎休堂記J,宣徳、元年説一一…『大明宣宗実録』,『明史』食貨志,「焼造」の条,『鏡州府志J,『江西省大志』−『浮梁県志J陶(1) Pope, J. Alexander, Fourteenth】CenturyBlue and White : A Group of Chinese Poree-(2) 拙稿「中国青花・柚裏紅磁器における「洪武様式jについての一考察」『成城丈塞』(3) 官窯設立年代について,各説の根拠とする文献資料は以下の通り。洪武2年説一一453
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