鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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(7) 1996年,台湾の鴻稽美術館にて,洪武・永楽の官窯磁器を中心とした展示『景徳(8)元王朝の時代にも「官窯」的機構,組織はあった。しかし,これについては,文(9)現在,中近東のトプカプ宮殿およびアルデビル廟に所蔵される,元〜明初の中国政記録。(4)南京博物院「南京明故宮出土洪武時期査器」『文物』1976年8期(5)正小君・陳華渉「景徳鎮洪武盗新証J『江西文物.l1990年2期(6) 陳華苔「欣開洪武官套的面紗」『鴻語文物』第三期,鴻轄美術館,1998年3月鎮明初官窯磁器展』が行われた。その展示図録は『景徳鎮出土明初官窯套器.l(鴻稽美術館,1996年1月),論文集は『鴻稽文物』創刊号(鴻稽美術館,1996年2月)として刊行されている。景徳鎮発掘においてその中心的研究者である劉新園氏の論稿,劉新園「景徳鎮珠山出土的明初輿永楽官窯査器之研究Jは,その両者に掲載されている(筆者は1996年3月に台北にてその展示を見学した。)。献に記される,明初の官窯「御器廠(御廠)」と区別されている。元時代のごく初期に,景徳鎮のある鏡州浮梁県に「浮梁磁局」が至元15年(1278)に置かれ,その五年後に「将作院」が設置されたことは,政府の官営工場というべきものと見られる(金沢陽「元末明初の景徳鎮「官窯」成立条件についての試考j『出光美術館研究紀要J四号,1998年9月参照)。景徳鎮の元時代と見られる遺構からも,五爪の龍を表した宮廷向けの作品が,蓋物容器等,何点か出土している。青花磁器の点数は,以下の通りである。(文献(注1)等参照による。「様式」の語は省略。)トプカプ宮殿一一一元:39点,洪武5点,永楽(宣徳)49点アルデビル廟一一元:32点,洪武l点,永楽(宣徳)172点。。劉新園氏と同様に,筆者は洪武2年官窯設置説をとるが,本文1-c,でふれたように,劉氏は官窯設置ののちすぐ洪武様式が製作され始めたとは考えていない。-454-

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