鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
479/759

〜1224?)といった人々との親密な関係が考えられる。図1遣迎院阿弥陀如来像⑧ 快慶作例を中心とする中世結縁交名の比較研究研究者:高知県立高知女子大学文化学部助教授青木はじめに鎌倉時代に活躍した仏師快慶による造仏活動は,源平/争乱後の東大寺や高野山金剛峯寺などの復興造営とそれに関連する勧進活動が深く関係している。その背景には南都東大寺の焼亡後にその復興大勧進となった俊乗房重源(1121〜1206),あるいは高野山蓮華谷聖の祖明遍(1142重源によるこの勧進の組織は,近年発見された東大寺南大門金剛力士像の像内納入品資料の分析などを通じて断片的ながらその実態が明らかにされつつあるが,さらに西行のような廻国遊行する勧進聖,また快慶に代表される仏師・番匠・鋳物師といった職能集団,そして「一紙半銭」の喜捨によりその活動の基盤を支えた中世の民衆をも含めたこの大規模な「勧進」組織の実像について総合的な視点からのアプローチはいまだなされているとは言いがたい。本研究では建久年間(1190〜99)に造立された京都・遣迎院阿弥陀如来像の像内納入品をはじめとする快慶作例の交名資料の調査と,その後に確認された大阪・一心寺結縁経あるいは和歌山・金剛峯寺板彫胎蔵界呈茶羅の結縁交名など中世の交名資料の比較・分析を通じて中世初期における快慶をとりまく造像と勧進のネットワークについて考えてみたい。1 快慶の結縁造像とその資料これまでの調査で快慶の作例からは写経・願文・陀羅尼・五輪塔・印仏・消息・毛髪などさまざまな納入品が確認されているが,特に注目されるのが数十名から一万数千名にのぼる造像に関係した人々の結縁交名である。快慶による作例のうちで結縁交名の確認されている主な作例としては以下のものがあげられる。淳,/ \ 469

元のページ  ../index.html#479

このブックを見る