建久5年(1194)不明建仁元年(1201)建仁2年(1202)建仁3年(1203)建仁年間不明不明建暦元年(1211)建保6年(1218)快慶の場合,特にその初期の造像活動を支えた基盤が重源を中心とする東大寺や高野山などの勧進組織との関係によるものであったことから,それらの納入品資料の多くが中世における勧進活動の実態を伝えるものが少なくない。結縁交名はいわば勧進聖と民衆との接点を記録した資料である。その多くは身分も職業すらも定かでない民衆の名が記されたものであるが,この遣迎院像ならびに建仁元年(1201)に造立された東大寺僧形八幡神像や八葉蓮華寺像など快慶の初期の作例に納入された結縁交名の場合,比較的多くの人物情報が『玉葉』『山塊記J『宝簡集』など当時の記録をあわせてひもといてゆくと,その造像結縁にいたる背景に関わる部分が管見されるところとなった。そこでさらに遣迎院像などの結縁交名について,各結縁者の「結衆J要因を血縁関係や法縁関係などによって分類し,その背後にある結縁者相互の関係をネットワークとして再構築するという作業を行ったところ,いくつかの特色ある「結衆jの存在が確認された。以下小稿では建久年間に造立された遣迎院像の結縁交名(以下,「本交名Jと略記)の分析を中心に,快慶の初期作例に見られる結縁造像の特色とその背景について検討してみたい。現在,遣迎院阿弥陀如来像は同時期に造立された釈迦如来像とともに一具の迎接の二尊像として本堂に安置されている。これまでにその像内からは結縁交名や造立願文などの納入品が発見され,この結縁交名のー紙に「建久五年六月廿九日始之」という2 遣迎院阿弥陀如来像の結縁交名京都・遣迎院阿弥陀知来像像内納入品大阪・八葉蓮華寺阿弥陀如来像像内納入品奈良・東大寺僧形八幡神像像内銘三重・新大仏寺如来像像内銘奈良・東大寺金剛力士像像内銘・像内納入品奈良・安倍文殊院文殊菩薩像内銘兵庫・播磨浄土寺阿弥陀三尊像像内銘京都・正寿院不動明王像像内銘岡山・東寿院阿弥陀如来像像内納入品京都・大報思寺十大弟子像像内納入品470
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