鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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6.おわりに500部印刷された初版本は,発売後すぐ完売してしまったという。だが第2版はすぐ高村光太郎「今までこんなに全体の抱和した塞術を日本でみたことのない気がします」,北原白秋「何といふすばらしさだ。全く私は驚喜してゐる。内容は知ってゐるが装頼のすばらしさはどうだ。全く田中恭吉はえらい。君はいい人をみつけた。それが君の詩に最もふさはしい重を描く人だといふことはわかるj,康川松五郎「表装から装重から今迄かつて見ない立派な冊子であることをうなづくと同時に制作の発表に封する慾望!なにか嫉まし気な名状しがたい羨望の念が湧いて暫く細長い鞭で打たれて居るやうな気がいたしました。(略)[原文通り]。ただ貴兄の作品と田中氏の作品とは劇サロメにピアズレーの挿董が偶然一致して輝いたと同じ様な塞術的飽和を見たとだけ言はせて戴きませう。」(注21)新しい詩集の誕生に対する賞賛が多く寄せられていたが,それらの中には詩と絵の不思議なまでの一致に驚嘆する言葉も多数あったのである。また長谷川潔は同誌第2年第5号に「詩集『月に吠える』の装順に就いて」という3ページにわたる論評をょせ,萩原と田中の「或る資質に於ての類似」をいかに深く知ったかということと,田中の作品についての感想を述べている(注22)。岩野泡鳴もまた『日本主義』第2巻第5号のなかで「挿絵がまた面白いものだ。[中略]米野口氏[野口米次郎]の宅で,米国の詩人ピンナ氏と,フインケ氏との招待会があった時,ピアヅレの話がでたついでに,この詩集の挿絵を米国詩人等に見せるとちょっと面白がって,フインケ氏も買って帰りたい,何でもいい物を日本から盗みに来たのだからと云った。或程度までは文芸並に思想上のことは共通で盗んだり,盗まれたりするのだ。Jと記している(注23)。には出ず,1922年3月に別の出版社アルスから刊行された。挿画の数は田中7点,思地l点に減らされているが,初版時の献辞には「従兄萩原栄次氏に控くっとあったが「故田中恭吉の霊に捧ぐjと改められている。萩原にとって田中の存在はやはり大きなものだったことがわかる。『月に吠えるJの自序の中で,萩原は「過去は私にとって苦しい思ひ出である。過去は焦燥と無為と悩める肉体との不吉な悪夢であった。」「私は私自身の陰欝な影を,月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が,永久に私のあとを追って来ないやうに。」(注24)と述べている。萩原にとってこの詩集は,自分の青春期における痛ましい苦悩485

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