鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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る。こちらにもひときわ目立つ青磁大皿が描かれている。唐草文様の彫り文様らしき表現がなされ,荒川氏が推定しているように中国龍泉窯の青磁と思われる。敷物を敷かず直接地面に置かれているようである。〈邸内遊楽園(相応寺扉風)〉には色絵大皿が描かれる。肥前では寛永年間には色絵大皿の作例がないため,中国からの輸入製品ということになろう。疑問に思われるのは,大皿と料理,そこに箸が描かれることはあっても,取り皿となる器が描かれないことである。江戸後期には大皿,鉢盛料理の脇には重ね積みの小皿が描かれるのではあるが。調理場,食膳また,〈川口遊廓図〉(別表No.51)ゃく祇園祭礼図扉風〉(別表No.54)のように調理風景には播鉢が描かれている。宴席の表現は,このように,裏方である調理場も描かれることが多く,宴に期待される御馳走が絵師にとっても重要な主題であったかのようである。食膳の器としては大皿がめだ、った存在感をもっている一方,碗はもっぱら茶碗として飲用に用いられている情景が描かれていることが興味深い。飯碗として使用されることは少なかったのであろうか。明らかに飯碗として描かれているものでは,朱塗の木製碗がく歌舞伎図巻〉(別表No.50)に見られる。ここでは楽屋内での役者の食事風景が描かれているのであるが,膳で給仕され,手前には朱塗の碗が二つあり,左側には飯がはいっているのが描かれている。もうひとつ碗が膳の中央に配膳され,向こう側に茶色で彩色された碗(向付)が描かれているが,これらは陶磁器製かは不明である。当時の食事形式については,日常の庶民の食事風景を描写した絵画資料の発見を待ちたい。3:喫煙具として(火入,灰吹)一般に喫煙の習慣は天正年間または慶長年間にもたらされたといわれる。喫煙具の中でも,きせるは外来のものであるが,火入など喫煙にともなう道具は香道具からの転用と考えられている(注6)。画中には火入か香炉か,あるいはたばこ盆か香盆か見分けが難しいものがある。寛永年間にはく邸内遊楽図(相応寺扉風)〉のように喫煙具が描かれているものが現われるが,明確に陶磁器製とわかるものは少なく,火入は把手付きで描かれるものが多い。-493-

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