鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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;fLる類のものであった。主E愁に眠る自然等の題材J(注19)であると紹介されたように,彼の詩の底流には追憶の中へ消え去っていくはかないものへの哀惜の情が流れており,それは過ぎゆくもの,i戚ぴゆくもの,刻々と変化していくものへの傷みを含み込むものであった。一方,『月映』の画家たちが抱いていた感情も,その多くが田中の発病や藤森の妹の死という悲しい体験によって惹起されたもので,「悲愁」や「哀傷」「焦心jという言葉で表現さこのような両者に共通して流れる情調は,露風の詩においては彼がとりわけ好んで採り入れた黄昏や夜の情景の中に詠み込まれたし,それは『月映』の版画作品においても同様である。彼らは神秘的な夜の情景を黒と青の色調で描き,自己の内面の苦悶を表出しようとした。たとえば,藤森静雄の作品〈よる〉〔図3〕を一例として挙げるならば,そこに描かれている夜の闇,青い空に瞬く星,沈黙の森の中へとうなだれ歩む我が魂の影が,露風の詩「森林にてJが表現しようとしていた心象風景に酷似していることを指摘し得るだろう。「沈黙の森のタに/』埋めける蒼き星/(中略)あはれ見よ/森の奥より/埋めける蒼き星/風はただ暗くさまよひ/悲める我魂は/をののきて忍び泣く」これはほんの一例に過ぎず,『月映』の画家たちが「生」と「死」,「光」と「影J,「たましいjと「肉」そして「心」「ながれ」「みち」という言葉とともに表出しようとした視覚世界は,移ろいゆくものと永遠なるものとの対比であり,それは露風が象徴詩によって表現しようとした情景に近似したものだったと言える。後年恩地は,『月映』時代の田中の作品を「持情的象徴画J,藤森の作品を「人生的象徴画jと呼んだが(注21),これは露風が『白き手の猟人』について「この詩集は,幸子情的象徴詩と思想的象徴詩とが多い」(注22)と解説したことを思い起こさせる。恩弛が露風の言葉を念頭に置いて記したものかどうかは分からないが,この両者の一致は露風の象徴詩と『月映』の象徴画とが密接な関係にあったことを示す証のーっともいえるだろう。恩地と山田との接点としてまず思い浮かべるのは,やはり1914年3月に日比谷美術3 思地の「持情」シリーズと山田耕搾(「森林にて」より)(注20)-41-

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