⑮ 近世漆工芸における中国趣味の受容と展開一一小川破笠を中心に一一研究者:学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程小林祐子1 はじめに小川破笠(1663〜1747)は,江戸時代中期に俳諾,絵画,漆工芸など多方面にわたり,その才能を発揮したことで知られている人物である。なかでも,蒔絵に陶片,ガラス,螺銅,堆朱などを組み合わせた「笠翁細工J,「破笠細工」と呼称される,日本の伝統的な漆芸技法とは一線を画す独創的な漆器類は,従来から関心を集めてきた。しかしながら,それらのなかには,明らかに幕末期や明治時代以降に制作されたと思われる作品も数多くみられ,「笠翁細工」の特徴的な技法と,「破笠」のネームバリューの高さを利用した,膨大な数の偽作,あるいは類似作が破笠没後にうみだされたことがわかる。そしてそれら多くの偽作,類似作の存在が,破笠の実像を一層不明瞭にしているといえる。そこで本報告書においては,まず破笠が享保8年(1723)より出仕していた津軽家において制作した作品を取り上げ,詳細な分析,検討を行い,破笠の基準作にみられる様式上の特質を探り,またパトロン・津軽信寿(1669〜1746)(注1)との関係を確認する。次に,「弘前藩庁日記J(注2)をはじめとする,津軽家の古文書類の点検から得られた,津軽家における破笠の芸術活動の実態,および破笠作品が享受された場や,破笠作品に期待された役割などに関する報告を行うこととする。2-1 「柏木菟意匠料紙箱」「春日野意匠硯箱」(出光美術館蔵)について「柏木菟意匠料紙箱j,「春日野意匠硯箱」(出光美術館蔵,以下「料紙箱j,「硯箱」と略す)〔図1〕は,明治34年発行の『京都美術協会雑誌』に「破笠作硯箱,津軽伯蔵品Jとして木板の挿絵入りで紹介されており,従来から破笠と津軽藩との関係を物語る作品として知られきた(注3)。さらに近年,灰野昭郎氏が「料紙箱j,「硯箱」の外箱墨書や,津軽家文書の『二之御丸御宝蔵御道具帳』(弘前市立図書館)の記録から,津軽信寿の詠んだ漢詩を,津軽家御抱の書家・後藤仲龍が揮去し,それをもとに破笠が制作したものであることを実2 破笠の基準作の検討534
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