鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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されていると推察できょう。一方の「春日野意匠硯箱」〔図3〕には,薄と桔梗が風にたなびく,秋草の茂る野辺に件む一頭の鹿が後姿で表わされる。鹿は茶,白などの鉛粕で彩色された楽焼で,土壌は高蒔絵,薄は付描でのびやかに描かれ,桔梗(現状では,花の部分に剥落の痕跡がみられることから,当初は螺銅が貼られていたと思われる)の葉の部分は薄肉高蒔絵で表されている。画面右上方には,津軽信寿作の秋の漢詩が配される。秋野に鹿といえば,春日野が直ちに想起され,日本の伝統的主題にもとづいた意匠と理解される。しかし,硯箱蓋の四側面には,築書体をもとに様々にデザイン化された「福jと「寿」の文字がめぐらされている〔図4〕。鹿は「ロク」と音読され,「福禄寿Jの「禄」と音通である。つまり側面の「福J,「寿」と合わせると,「福禄寿jという中国吉祥意匠が完成する。この「硯箱Jも前述した「料紙箱jと同様,「和」と「漢」のダブルイメージにより成立しているのである。さらに,「料紙箱jの「柏」と「硯箱」の「鹿」の組み合わせは,[百禄」に音通であり,「百齢食禄」を寓意する(注8)。このような中国吉祥意匠の語巨合わせ的な仕掛けは,「料紙箱」,「硯箱」各々の意匠を有機的に繋ぎ合わせる役割をも担っているのである。さてその「硯箱Jには,内容品として硯,水滴,墨が納められている〔図5〕。硯には幡龍文が彫られ,また縁には「事保」,「年製jという年記が彫刻されている。動物のような奇妙な姿をした水滴の側面には「尚行」と「観」という破笠の彫銘,及び「享保年製Jの年記がある。硯や水滴にみられる年記の形式は,おそらく「大明寓暦年製Jなどの中国製漆器や磁器の年記形式を意識したものと思われる。さらに墨は,既に灰野氏が指摘されているように,『方氏墨譜Jなど中国明時代に編纂された墨諸に掲載されている「玄鯨柱」である〔図6〕(注9)。『方氏墨譜』に掲載される「玄鯨柱j〔図7〕と比較すると,図像の左右が反転しているものの,円柱形の墨に,龍に似た奇怪な表情の鯨が尾鰭を上にして絡み付く様子が酷似している(注10)。中国・明時代の寓暦16年(1588)頃刊行された『方氏墨譜.l(全8冊)は,享保4〜20年(1719〜35)の舶載書目のなかにみられ,破笠の「料紙箱j,「硯箱jが制作された享保年聞には,既に日本に将来されていたことがわかる(注11)。相見香雨氏,灰野昭郎氏は,当時中国から舶載されたばかりの稀観本に接する機会を破笠に与えたのは,津軽信寿ではないかと推測されている(注12)。そこで今回,津軽家文書の蔵書目録を調査したところ,-536-

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