と記されている。ここで[資料1l]にあげた「江戸日記J享保8年9月16日条の記事に注目したい。この記事は,岩城但馬守こと亀田藩主・岩城隆詔(注15)を迎えた時の座敷飾りの記録である。大書院の床には狩野常信の寿老人の三幅対,小書院の床には探幽の恵比須・大黒図が掛けられ,小書院の附書院には,宣徳の筆架や唐金の水滴とともに「黒塗石入御硯扉」が飾られた様子がわかる。この硯扉は,他の文房具が唐物であることから推して,「鹿図玉石堆錦硯扉」(徳川美術館蔵)〔図10〕のようなタイプの中国製漆器であった可能性が高い(注16)。破笠作品では,石や象牙ではなく,やきものが使われているが,前掲の『柔飾録』の楊清明の注釈には,「近日加窯花焼色代玉石亦ー奇也Jの一文があり,[窯花焼色」は「やきもの」を意味していると思われる。つまり楊清明が注釈を加えた天啓5年(1625)頃には,中国の百宝翫細工にも,玉石の代わりにやきものを使用するものが流行し始めていたようである。実際にやきものが最入された中国製漆器は未見であるが,このような漆器が日本に将来され,破笠が眼にしていた可能性は十分にあると思われる。2-2 『独楽徒然集Jについて『独楽徒然集j(弘前市立博物館寄託,縦27.5×横17.4)〔図11〕は,「柏木菟意匠料紙箱J,「春日野意匠硯箱」の注文者,津軽信寿が享保16年(1731)に致仕の記念に上梓したと考えられている上下二巻からなる詩句集で,豪華な大名の私家版として従来より注目されていた(注17)。上巻39丁,下巻53丁に,信寿やその嫡男信興(1695〜1730)を始め,津軽家の家臣が作った漢詩,和歌,俳句,狂歌が四季に従って編集されている。挿絵は138図を数え,すべて墨刷で,破笠,破笠の息子宗理,栄羽,弟子の華笠,萎園,英一蝶の門人一蜂が手掛けている。その内訳は破笠30図,宗理8図,栄羽23図,華笠26図,萎園10図,ー蜂41図となっている。これらの挿絵のうち,これまで「漢画風の山水,中国風の古銅器」(注18)などと紹介されてきた図について,詳細な分析を行ったところ,中国製画譜からの図様の借用関係が明らかとなった。まず,竹翁こと信寿の漢詩に添えられた,破笠筆「山水図扇面」〔図12〕は,『八種画譜Jの「名公扇譜」の山水図扇面〔図13〕からの借用である。破笠画では,左上の遠山が省略され,その部分には漢詩が配されて,近景のモチーフが全体的に横方向へ広げられているなど多少の相違点はあるものの,両図はモチーフ,構図ともによく符窯花焼色代玉石亦一奇也」538
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