同相見香雨「醍工細工と破笠(上・中・下1・下2)」(『日本美術協会報告』33・34・(3) 「破笠作硯箱津軽伯爵家」(『京都美術協会雑誌』1731901年)(4) 灰野昭郎「「笠翁細工」・小川破笠」(『笠翁細工j京都国立博物館1991年),およ(5) 『「乾山と京のやきもの」展j(NHK/NHKプロモーション1999年)所収(6) 『吉祥中国美術にこめられた意味』(東京国立博物館1998年)(7) 野崎誠近『吉祥図案解題j(中国土産公司1928年)(8) (注7)一野崎前掲書参照(9) (注4)灰野前掲論文参照されている。このうち「弘前藩庁日記」(原題は「日記」)は,寛文元年に記録が開始され,国元の弘前において記録された「国日記J(寛文元〜元治元年.1661〜 1864)全3,299冊,江戸藩邸で記録された「江戸日記J(寛文8〜慶応4年.1668 〜1868)全1,255冊が現存している。なお津軽家文書の現存数については,弘前市立図書館の武田智恵子氏にご教示いただいた。また,「弘前藩庁日記」のなかの破笠関連記事については,これまでに楠本六男「事保期俳壇の周縁小川破笠ノート」(『享保期江戸俳諾孜J新典社1993年),灰野昭郎『小J11破笠一江戸工芸の粋(日本の美術385号)』(至文堂1998年)において,その一部が紹介されている。ぴ(注2)一灰野前掲書参照。帥また墨には「岡(思カ)嶋河内」という彫銘があり,日本製であることを示すと思われるが,詳細については今後の課題としたい。よれば,陽明文庫所蔵の『方氏墨譜』の題筆は,破笠や津軽信寿と同じ時代を生き,津軽家とも非常に縁の深い予楽院近衛家照(1667〜1736)の筆跡であることを報告されている。近衛家照の娘は,津軽信寿の嫡男信興(1695〜1730)に輿入れしており,『塊記』の享保12年(1727)10月29日条に「津軽殿ヨリ献上ノ蝋燭ヲ点サレテ,御写物ヲ遊パス,其光リ明カニシテ,油煙ナク,色白キコト白雲ノ知クニシテ細シ,他ノ蝋燭ノ数丁ガケニタツコトナシ,奇麗ナル事云パカリナシ,是コソ夜会ノ御茶ニ然ルベシト申上シニ(後略)」とあり津軽信寿から贈られた蝋燭を賞賛する記述がみられる。-543ー←ω 大庭惰『江戸時代における唐船持渡書の研究』(関西大学出版部1967年),また中田勇次郎「方氏墨譜解説」(『文房精粋第一種』同朋舎出版1980年)に
元のページ ../index.html#553