ぎに西洋美術の反省と見直しの一環として,統制期に西洋美術の「古典主義jが独自に解釈されていたことを,西洋美術の思想潮流の特集記事あるいは西洋の芸術家にかんする記事のなかに探る。そのうえでさいごに,一見相容れない印象をあたえる二つの要素である「古典主義」と「大衆jが,誌上に同時に頻出し重要視されたことについて考察する。その理由のひとつには,新文化建設を目指す時代にあって,「古典主義」と「大衆jが美術雑誌記者たちの「理想」のよりどころとなっていたことがあげられよう。統制期の記事にみる西洋美術一一参考と忌避一一美術雑誌の戦時統制期は,国防国家の樹立,新文化建設がうたわれたときである。このような時期にあっても誌上から西洋美術の記事が消えることはなく,むしろわが国の美術の参考または比較対象として記事にされつづけた。そのひとつに,同時代の西欧の美術情勢についての記事をあげることができる。西欧の美術情勢は,好例と悪例というかたちで提示された。まず悪例とされた西欧の美術情勢は,「インターナショナル」という性質を帯びたものであった。昭和15年にフランスがドイツに降伏した。「フランス芸術から多くの感化,影響を受けたわが国のインテリゲンチアj,つまり日本の美術関係者にとってその衝撃は大きく,誌上にはフランス敗退の理由を当時の美術事情から分析する記事がいくつかみられた。そのひとつに荒城季夫によるつぎのような内容の記事がある。近代フランスの文学者や美術家は高度のリベラリズムや個人主義の倫理観と世界観のうちに制作をし,生活を営んでいた。今日フランスを敗戦にまで導いたところの,国家や民族の存在,興隆と相容れない思想、の致命的欠陥がこれであった。現代のフランス芸術は,文学も美術も,ブルジョア・リベラリズムの凡ゆる思想と心理をあらはしている。要するに文化のための文化,芸術のための芸術,生活のための生活が指標だったのであり,国家のためにというよりは,全人類のためといふインターナショナルな思想傾向の方がさらに強かったのである(注6)。荒城は,フランスはもともと「過去に偉大な国粋芸術を有った光栄あるj国であるが,近年「美術における思想の反国家性や国際性」を許したことが亡国の危機を招い-557-
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