鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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15)はその「古典的伝統から完全に離反jし,平衡を破壊し,逃避し,行きすぎの空がわが国においても行われていたことを確認しておきたい(注13)。西洋美術の思潮整理一一浪漫主義,写実主義,古典主義一一ー統制期の西洋美術受容の態度としては,「インターナショナル」は忌避されたが,しかし文化の鎖国状態に陥ることへの懸念から「コミュニケーションjは認められていた。その態度の一環として,西洋美術の思想潮流をあらためて見直し,整理しようとした特集記事をあげることができる。それは外来文化を,わが国の文化建設に貢献すべきものとして独自に理解しようとする試みでもあった。昭和17年『重論』誌8月号より三回にわたって,浪漫主義論,写実論,古典論の特集記事が掲載された。これらの記事においてキー・ワードとなったのは,「古典主義」であった。たとえば『特集・浪漫主義論Jにおいて,植村鷹千代は「フランス浪漫派絵画の本質」と題する記事のなかでとくにドラクロアを例にあげ,浪漫主義をつぎのように分析している(注14)。植村は,浪漫主義の代表的画家ドラクロアが「勇敢にも古典を現代に奪取した」ことは,一見矛盾するようであるがそれは形式上のことであり,じつは浪漫派絵画がレアリズムの勃興によって敗北した主因はドラクロアのこの姿勢を放棄したことにあると考える。ドラクロアにとって「伝統は凍結した定式ではなく発展的前進に対する貴重なる飛石」であったが,つづく浪漫主義の芸術家たち(注騒ぎへと向かったという。植村は,「古典主義jを基調にした浪漫主義を真実の姿として解釈するのである。同様のことが写実主義を解釈するさいにも行われた。『特集・写実論』において,内田巌は「写実精神とは伝統精神」(注16)であるとし,その理由を次のように考える。ヨーロッパ芸術を支配する三つの潮流は,古典主義と理想主義と現実主義である。絵画に現はれた古典主義の内容とは,現実と理想との調和である。理想、を通して現実を典型化する事である。この三つの主義は分極対立するものではなく,写実の本質に関連する芸術内容である。理想と現実の調和,そこに写実精神が伝統精神として能動発展していく深い意味がある(注17)。内田は「古典主義」を写実精神の本質とし,ポジテイヴにとらえている(注18)。-559

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