鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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ハUこのようにくりかえし引用される「古典主義」とは何かを解明しようとしたのが,『特集・古典論』であった。同特集において岡崎義恵は「反古典闘争としての浪漫主義的精神」そして「古いものよりも新しいもの,典型的なものよりも個性的なもの,永久不変的なものよりも動いてやまざるものを要求するJ近代主義は行き詰まり,文化の指標を見失ったとし,世界の新秩序が要求されることとなったという(注19)。「古典主義」は,新文化建設が目標とされ,一種の秩序が要求された時宜に適って注目されるところとなった。さらに岡崎は古典が「我々よりも偉大であり,崇高で、あり,優雅であり,強健であり,清浄であり,深玄であるといふやうな違ひ方なれば我々はそれに一歩でも歩み寄らなければならない」とし,目指すべきは「古典の生命,古典の精神Jを学ぶことであるという。同様に児島喜久雄は「古典を研究するとは過去の美術を知って之に倣ふことではない。其裡に時代を超越して尚現代に生きているものを認めて夫を作り出した者の精神を学ぶにあるJと述べている(注20)。また,津柳大五郎は「西欧人は西欧の古典を東洋人は東洋の古典をといふやうな限定を自ら附する必要は豪も存しないと思ふ。我々は既に世界の歴史を倶にしてゐるjとし,「世界の新秩序J建設を目指し,洋の東西を問わず「古典の精神」を参考にし,学ぶべきであるという(注21)。このような言説から,当時わが国の「古典主義jとは新しい秩序を創造するための精神を古典(注22)に学ぶことであったと考えられよう。西洋画家にかんする記事にみる独特の記述統制期の記事のなかでとくに「古典主義Jという観点から脚光をあびた画家として,ニコラ・プッサンがあげられる。ここではまずプッサンの「古典主義」が,同時代的意味で解釈されていたことを記事のなかに探る。さらに同時期の記事においてプッサンは,古典主義者としてのみならず,自国の農村風景を描いた画家としても記述されていた。じつはこの時期「自国民族の生き生きとした描写」とりわけ「勤労」する姿を描くことは好ましく思われる傾向にあった(注23)。それは民族精神の高揚にもとづくものであるが,「インターナショナルjにたいする反省から,新文化建設にさいしては,ナショナリズムは「古典を作る原動力J(注24)として重要視された。また民族性は当時「大衆」がもつべき性質として考えられた(注25)。このことから,民族性を描くことはすなわち「大衆」のすがたを描くことでもあった。このような観点から,「大衆」を描いた西洋の画家の一例としてピーテル・ブリューゲルが記事にされたと考え

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