しミ。族J(注26)というこの時期特有の問題意識をプッサンに照らした記事を二本とりあげられよう。ブリューゲルにかんしても,この時期独特の記述があったことを指摘した一一一ニコラ・プッサン一一一美術雑誌戦時統制期には,ニコラ・プッサンのみをあつかった記事が三本掲載された。プッサンが単独で、記事にされたのは,この三本以前には昭和13年『みづゑ』誌上の富永惣ーによる「ニコラ・プッサン」一本に限られる。ここでは「古典主義」と「民たい。昭和17年『重論』9月号誌上に須田園太郎による「古典家プッサン」が掲載された。須田はプッサンの「謹厳な古典主義」を次のように説明する。ただ古典を尊敬し愛好するだけでは古典家ではない。…真に古典派者たり得るものは,彼の芸術的理想境地をあらはすものが,古典芸術とみるからなのである,…プッサンは真実を芸術に求めてゐた,…古典芸術にはこの真実,正確,本源な姿が厳粛に表現されてゐる,彼が古典芸術を範とするのは,この為である,…。須田はプッサンの古典主義に,古典は単なる遺物ではなく「古典家達の一つの理想境」として現在にかかわりを持つという同時代的意味をみいだしている。つぎに山田邦祐による「ニコラ・プッサンとノルマンデイーjが昭和17年『生活美術』10月号誌上に掲載された。この記事はフランスの美術史研究者ルイ・ウルティックの著作の抄訳である(注27)。山田は200頁におよぶ研究書からとくに「プッサンが生来農民であり幼少期に目にした農村の生活風景を作品の背景に描いた,そこにはプッサンの農民としての気質がみられ,また独自性をみいだすことができる」と述べた部分を抜粋している。つまり山田は,プッサンの作品には自国の現実生活に密着した描写が見られると指摘された部分をとりあげることにより,プッサン芸術の自民族への愛着,農村への志向という側面を強調したと考えることができる。一一ピーテル・ブリューゲル(父)一一ブリューゲルは統制前に誌上でとりあげられ反響を博した画家である。昭和16年『みづゑJ1月号誌上(注28)では,ブリューゲルの特集が掲載された。編集後記ではその意図を次のように述べている。561
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