鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
572/759

本号はブリウゲルの特集としました。この民族意識の強い,勤労を賛美する画家から学ぶべきものが多々あることを信じます。この特集に記事を寄せた久保貞次郎は,一貫してブリューゲルが自国の民衆の勤労する姿をいきいきと描きだした画家であることを強調している(注29)。また同誌の同年4月号には柳亮が「ブリュウゲルの二元的性格とその史的評価の変遷jと題する記事を寄せている。そのなかで柳は,「当時のイタリー画派に対するフラマン画派の関係は,一言にして言へばイタリーの中央文化に対する地方文化の関係であって,一方に於いて土着文化の伝統的な体質を保持しながら,中央の進歩的な技術をいかに吸収し,獲得するかを,命題とした点で,今日の我々の立場と一脈相通ずるものがあるjと述べている。ここでは,ブリューゲルの作品が自国の伝統と外来文化とのかかわりでとらえられていることを確認できる。おわりに一一「古典主義」と「大衆」昭和16年『みづゑj6月号誌上では,陸軍省報道部部員・陸軍中尉黒田千吉郎は「時局と美術人の覚悟jと題する記事のなかで「美術家の捷まざる努力が,吾々の国家を飾り,大衆に美的教養を与へ,その生活に潤を与へるのである」と述べている。また昭和18年『重論』7月号誌上では「戦争と美術jと題する座談会記事が掲載されたが,そのなかでは「文化人でもインテリでもない,「大衆jが心を動かす作品Jが高く評価された。このように統制期の美術は,「大衆」のためにあることがもとめられていた。しかし記事に見られるいくつかの言説から,「大衆jとは教化され導かれるべき人々であり,そのうえですぐれた美術を解することができるようになる人々であることがわかる。それはいわば国家に導かれる「理想の大衆j像であった。じつはこの点に,「古典主義」と「大衆jという一見相容れない要素が両立する可能性があった。つまり,両者は,「卑俗的な大衆」(注30)と「知識人たちの特権としての古典主義」(注31)ではなく,古典にあるべき姿すなわち「理想境J(注32)をみていた「古典主義Jと,有事にさいしであるべき姿で臨む国民すなわち理想の「大衆」としてとらえられていたのである。「大衆jのあるべき姿としては,「勤労Jが賛美された。西洋美術の作品のなかでも,「勤労」する「大衆」の姿を描いたものがこの時期好んで誌上にとりあげられたことは前述の通りである。戦時統制下,理想の文化建設が提唱されたときに,「古562

元のページ  ../index.html#572

このブックを見る