Y王(1) 昭和18年版『出版年鑑』には「美術雑誌は大別すると古美術に関する学術研究誌(2) この時の状況については以下の研究に詳しい。小沢節子「前衛芸術運動の抵抗と(3) 須田園太郎「雲市青統制に麿じてj『重論』昭和16年9月号(4) 美術雑誌の統合再編にさいして誌上には声明文が掲載されたが,そこには「高度(5) 本論では美術雑誌戦時統制期の記事を中心にして,それ以前の関連記事をも考察(6) 荒城季夫「フランス妻術の運命」『みづゑ』昭和16年5月号(7) 荒城は前掲記事において,占領下の「フランス塞術は今までのやうなブルヂヨア(8) 関口俊吾は『図書』誌上の「戦争と塞術典主義」と「大衆jという用語を誌上でとりあげ,議論することは,当局への美術雑誌の存続示威にもなっていたのであろうが,他方で発展途上にあったわが国の西洋美術研究のひとつの方向を提言していたと考えられる。この点を明らかにするために,あらためて当時の西洋美術史研究者の動向を探求する必要があろう。と現代絵画に関する現代美術誌と特殊専門誌の三種に分けられる。このうち現代美術誌は昭和16年に統合が実施せられ30数誌が8誌になった。jと記録されている。本論では西洋美術の記事を掲載した雑誌として同資料に述べられた「現代美術誌」について議論を行なう。『出版年鑑一日本出版年鑑一昭和18年版J(復刻)文泉堂出版挫折一一美術文化協会と滝口修三を中心に一一」『文化とファシズム,戦時期日本における文化の光せ』赤沢史朗他編日本経済評論社1993年刊国防国家建設への奉公」(『董論』昭和16年9月号「発刊の辞J),「国策の線に沿って職域奉公の誠を致す」(『園論』昭和16年9月号「社告J)という言葉がならんでいる。の対象とする。観念から抜け出て,都市に,工場に,農村に,原野に,国家的な逗しい勤労と満足した休憩を表現するにちがひない」と述べ,「大衆のための美術」を評価している。記事のなかで「フランスが斯く脆く敗れた最大の遠因はこの国の芸術が,文化が,祖国愛から遊離しそれ自体が変態的発達を遂げたところにある」と述べている。フランスより帰りて一一」と題する563
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