(9) 昭和12年『アトリエ』10月号誌上にはE・ウェルネ著『ナチス塞術政策の全貌』の(12)須田園太郎前掲記事(15) ドラクロアの姿勢を放棄した浪漫派の芸術家の名はあがっていない。(1カ内田巌「写実精神と伝統精神」『重論J昭和17年11月号ふJと定義している。抄訳が掲載された。そこでは文化政策についてフリードリッヒ・ジイベルの以下の一文が引用されている。「政府が一般大衆の知的生活の指導を企て,民族共同体に対する全般的な責任感を以て実践の道に踏み込むことは多くの国民の歴史上最初のことである。j(同「古典主義」と「大衆」を意識した美術の再検討については,各国で、同時に起こったものか,相互に影響しあっておこったものかを,各国の状況をふまえあらためて比較し,考察する必要がある。同植村鷹千代「フランス浪漫派絵画の本質」『董論』昭和17年8月号同内田が説明する写実精神とは「日本の現実を正しく眺めそこに理想を持つこと」であり,それゆえ伝統を形成するとされるものである。(18) 『特集・写実論』では,デューラー(土方定一),ゴヤ(佐藤敬),シャルダン(後藤禎二)の芸術がその具体例としてあげられている。(()内は記者)同岡崎義恵「古典の享受についてj『董論』昭和17年9月号側児島喜久雄「古典美術と吾々」『董論』昭和17年9月号ω j畢柳大五郎「古典について」『董論』昭和17年9月号同岡崎は,古典を「比こには過去の文化的遺産のなかで永久の価値を有し,その為に今日の文化に対しても規範としての意義を持つものをさして古典と呼ぼうと思倒奥平英雄は当時「大東亜戦争の酷しい現実に直面している現代にあっては,勤労の語は個人的な観念を離れ国家的観念と切実に結びついた社会的倫理的な大きな意義をさへ包含するにいたってゐる」と述べている。「日本画に於ける勤労描写」『輩論』昭和国年11月号似)「座談会・新美術建設の理念と技術」における嘉門安雄の言説,『董論』昭和18年9月号-564-ω 「園防国家と美術(座談会)」『みづゑJ昭和16年1月号(11)前掲記事より
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