鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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⑩ アンドレア・ディ・ラッザ一口・カヴァルカンティ(1412-61/62)に関する基礎的研究-61/62)は,一般にブルネレスキの養子で彼の墓碑に肖像を刻み,デスマスクを制作2.ブッジャーノと呼ばれたアンドレア・デイ・ラッザーロ・カヴァルカンテイ研究者:愛知産業大学造形学部専任講師林1.はじめにブッジャーノ(Buggiano)と一般に称される(注1)イタリア初期ルネサンスの彫刻家アンドレア・デイ・ラッザーロ・カヴァルカンティ(Andreadi Lazzaro Cavalcanti 1412 したことで知られている。偉大な建築家の養子・遺産相続人として記憶されてはいるが,彼個人に関する研究は現在までのところきわめて表面的・断片的なものに留まっており,ブルネレスキの付随的な存在として,その関連の範囲内でのみ語られることが多い。かつてカヴァルカンティをテーマに,彼の故郷でもあるイタリアのブッジャーノでシンポジウム(1979)が行われ(注2),その重要性が指摘されたこともあったが,それから20年を経た現在も状況はそれほど変わっていない。しかし,カヴァルカンティは15世紀前半フイレンツェでブルネレスキが率いるいくつかの建設活動に建築細部や祭壇制作の彫塑工として加わることで,礼拝堂装飾におけるルネサンス様式確立の一翼を担い,さらにブルネレスキの死後は建築も手掛けてフイレンツェ以外の地ペーシャに初めてブルネレスキ様式を伝えた可能性もあり,彼の果たした役割は決して小さなものではない。したがって,より厳密にその活動を跡づけることはルネサンス彫刻史および建築史研究において重要な意味をもっと考えられる。本研究はカヴァルカンティに関する総合的基礎研究の一部を構成するものであり,作品データベースの構築を主軸として始められた。カヴァルカンティのモノグラフはなく,カヴァルカンティに関するまとまった文献資料が国内では皆無に等しいことを考慮し,ここでは,現在までに帰属されたカヴァルカンティの作品を関連史料の有無にかかわらず制作年代順に挙げ,主要な既往研究について報告し基礎資料としたい。まず次章においてカヴァルカンテイのおいたちを簡単に概観する必要があろう(注3)。カヴァルカンティは,ビストイア県,ブッジャーノ市にあるボルゴ・ア・ブッジャーノ(Borgoa Buggiano)で,小地主ラッザーロ・カヴァルカンティと妻フィオリーナ・デイ・コルッチヨ・グッチ・デイ・ブッジャーノの末息子として1412年に生まれた。羊歯代-566-

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