鹿島美術研究 年報第16号別冊(1999)
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(1)彫刻作品3.カヴァルカンテイの{乍品右手説教壇下にあるブルネレスキの父方の祖先ラーピ家の墓に埋葬されている(注8)。カヴァルカンテイが残した仕事の大部分は主として,浮き彫り,祭壇,説教壇,タベルナーコロや洗手盤といった聖堂内の調度によって構成され,一体の丸彫りとしての大型の彫刻作品を制作した,あるいは礼拝堂の設計に関わったという記録は知られていない。彼の業績はそのかなりの部分がブルネレスキの影響と庇護の下にあったことは否めず,彫刻作品にみられる手法はみなドナテッロ,ルーカ・デッラ・ロッピア,ミケロッツォやロッセツリーノ工房との接触によって培われたものであり,それを彼独自の手法に熟成させることはなかったといわれている。しかしながらカヴァルカンテイの作風は,たとえばフィレンツェ大聖堂南北両聖具室の洗手盤に見られるプットーがミラネージによって「風変わりな」と形容されたように,同時代の他の彫刻家がもっていた造形感覚とはやや異なる趣きをもっている。膨らんだ頬,大きく突き出した眼球,彫刻面における鋭い彫り込みと切り込んだ溝の使用などは,決して洗練されているとは言い難いものがあり,完成されたひとつの表現様式を形成するには至らなかったが,そこには力強い表現力と溢れる生気が感じらる。以下,(1)カヴァルカンテイに帰される彫刻作品を史料的根拠の有無を明らかにしつつ(彼自身への帰属を裏付ける明確な関連史料がある場合は作品番号の前に※を付す)年代順に挙げていく。(2)次いで彼に帰属されている礼拝堂および修道院回廊など建設活動をいくつか挙げるが,既に述べたようにカヴァルカンテイがそれらに直接関わったという明確な記録はない。① 1429 [大理石製窓枠コーニス部分,フイレンツェ大聖堂後陣(Firenz巴,SantaMa-ria del Fiore, tribune ? ) ]:プルネレスキの弟子が後陣(tribunettis)の窓枠の制作にかかわったことが大聖堂建設局の記録にある(Libro D巴lib.1425-1436)。ここで述べられる“tribunettis”がどの部分を指しているのか明確にはわかっていないが,モロッリは後陣南側にある窓枠二つのコーニスを支えるプットーと葉飾りを,その彫りの特徴からカヴァルカンティが制作したものとしている(注9)。② 1428-32 [大理石製祭壇その他の建築装飾細部,サンタ・フェリチタ聖堂パルパドーリ礼拝堂(Firenze,Santa Felicita, Cappella Barbadori) ]:ブルネレスキが建設したとされる同礼拝堂の,大理石製祭壇とイオニア式柱頭付き付柱,その他数本の付柱が568

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