オペラマ・サクラメントのタベルナーコロの浮彫りとを比較し,後者を1433年前後に制作されたカヴァルカンティの作とした(注16)。王座の聖母子と四聖人の浮彫りが施され,そのタベルナーコロ全体の建築的構成は1420,30年代にブルネレスキ,ドナテッロとミケロッツォらが発展させ,しばしば人物像彫刻とともに組み合わされて使用された古代風の建築様式を反映している。これは後続のエデイキュラ型祭壇枠組の形式に規範を与えたといってよく,シュレーゲルはこのデザインを,カヴァルカンティではなくブルネレスキに帰している。※⑤ 1438-40 [大理石製洗手盤,フイレンツェ大聖堂北側聖具室(Firenze,Santa Maria del Fior巴,Sagrest阻止11巴Messe/SagrestiaNuova)]:カヴァルカンティは,1348年11月23日付けで大聖堂建設局から「セルヴィ通りに向いた聖具室のために制作した白大理石製の洗手盤〔図3〕」に対して支払いを受けている(Librosen. D ac. 349) (注17)。ブルネレスキがフィレンツェ大聖堂建設事業のカーポマエストロであった期間中,カヴァルカンティも彼のもとで仕事をすることが多く,本来はブルネレスキに任された注文を直接引き継ぐこともしばしばあった。実際にこの洗手盤の制作は1432年に大聖堂建設局からブルネレスキに任された記録がある(Delib.1425-1436 ac. 193)。しかしその後なぜカヴァルカンテイへの引継に5年も要したのかは不明。この洗手盤は,ブロンズの蛇口の付いた草袋のようなかたちをした台座にまたがるこ人の有翼のプットーの高浮き彫り,それを取り囲む付柱と三角形のベデイメントを戴くエデイキュラ型の古代風建築的枠組と,水盤とで構成されている。Maria del Fiore, Sagrestia dei Canonici/Sagrestia Vecchia)]:⑥の洗手盤に続き,カヴアルカンテイは1442年7月21日付けで大聖堂建設局から南側聖具室の洗手盤〔図4〕制作の注文を受け(BastardelloSer N. III ac. 32) (注18),1445年12月23日に最後の支払いを受けている(注19)。北側聖具室の洗手盤と対をなすこの洗手盤の枠組も同様にエデイキユラ型であり,二人の有翼のプットーを囲む構成は両者ともに同じである。しかし水の入った容器を支え持って立つプットーや建築的枠組に施された葉など装飾モティーフの表現には両者の間でかなりの違いがある。水盤前面のアカンサスの葉の彫りも,まったく異なる表現が見られる。この洗手盤のための模型をつくったのはカヴアルカンテイ自身とされるが,パーニョ・デイ・ラーポ・ポルティジャーニと共同で1445年に完成されたことを考えれば納得がゆく(注20)。さらに北側聖具室の洗手盤との相オベ※⑦ 1442-45 [大理石製洗手盤,フイレンツェ大聖堂南側聖具室(Firenze,Santa 570
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