違にモティーフの象徴性の問題がある。ベデイメントに施された女性像は,ポッジェットによれば大地,モロッリによれば大気を表し,プットーが持つ容器の水は地上の生命を生み出す要素とされている。すなわちエロスとしてのプットーが査に水を集め,それを供給する。アカンサスの葉飾りが施された二つの台座は創造の神性を表し,二人のエロスは神の愛を表すことになるという(注21)。※⑧ 1443-46 [大理石製タベルナーコロ(tabernacolodel Corpus Christi),フィレンツェ大聖堂北側後陣部サント・ステーファノ礼拝堂(Firenze,Santa Maria del Fiore, Cap-pella di Santo Stefano)] : 1443年4月30日,カヴァルカンティは大聖堂建設局の負担で南側後陣中央のサンタントーニオ礼拝堂(あるいはパルテ・グエルファの礼拝堂)に聖体を納める大理石製タベルナーコロを制作したという記録がある(Stanz.G ac. 6 )。現在同礼拝堂奥の壁面に,太い4本のコンポジット式円柱が支えるタベルナーコロの基部のみが残され,その上にはバロック様式の祭壇画が設置されている。カヴアルカンティが制作したタベルナーコロ上部は,後述するように,向かい側のサント・ステーファノ礼拝堂の奥壁面に設置されている。※⑨ 1443-52 [大理石製説教壇浮き彫りパネル,サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂(Firenze, Santa Maria Novella)] : 1443年8月31日,ブルネレスキはサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂説教壇の木製模型のためにルチェッライ家より4.15リラの支払いを受けている(注22)。注文は,優れた数学者でもあったフラ・アンドレア・デイ・ドナート・ルチェッライによって仲介された。模型に基づき大理石で説教壇の構造体自体を制作したのは,ジョヴァンニ・デイ・ピエロ・デル・ティッチャである。その細部装飾はジュリアーノ・デイ・ノフリとバルトロ・ダントーニオ・バストラノーリに,そしてカヴァルカンティはマリア伝(「受胎告知」「降誕」「マリアの神殿奉献J「昇天」の4面)の浮き彫りパネル制作を請け負った。浮き彫りは1453年2月にアントニオ・ロッセツリーノ,デジデオ・ダ・セッテイニャーノらによって査定が行われているので(注23),それ以前に完成していたことがわかる。この説教壇は,ドナテッロによるプラート大聖堂外壁面説教壇を思わせる吊り型で,身廊の列柱の一本に巻き付く螺旋状の階段が説教壇まで延びており,マリア伝を表した浮彫りを縁取る金が施されたモールデイングによって華麗に装飾されている。説教壇自体のデザインの斬新さと建築的構成部分における洗練された装飾感覚に比べ,カヴアルカンテイの浮き彫りは,しばしば彼の彫刻家としての限界と質的凡庸さを露呈するものと見なされている。たしかに浮オベ-571-
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