※⑬ 1447 [大理石製祭壇(Altaredel SS. Sacramento),フイレンツェ大聖堂北側後※⑫ 1447 48 [ブルネレスキの墓碑,フイレンツェ大聖堂(Firenze,Santa Maria del ⑬ 1443 60? [大理石製祭壇その他の建築装飾細部,サンタ・クローチェ聖堂パツ彫り中の人物像は硬直し,ちょうど前世紀のオルカーニャによるオルサンミケーレ聖堂タベルナーコロの同主題の浮き彫りに見られるのと同様の,ゴシック的な構成と表現手法が用いられている(注24)。陣部サント・ステーファノ礼拝堂(Firenze,Santa Maria d巴lFi or巳,Cappelladi Santo Ste-fano)] : 1447年2月27日,カヴァルカンティは大聖堂北側後陣の中央のサント・ステーファノ礼拝堂に制作した聖体を納めるタベルナーコロの支払いを大聖堂建設局から受ける(Stanz.G. c. 135) (注25)。1446年,後陣中央のサン・ザノーピ礼拝堂を訪れた司教アントニオ・ピエロッツィが,当時そこに納められていた聖体の位置と状況を憂いたため(詳細はわからない),急逮,北側のサント・ステーファノ礼拝堂に移すことになり,そのためにカヴアルカンテイはタベルナーコロを制作したとされる。現在それは同礼拝堂正面奥の壁面に窓枠のように埋め込まれ設置されている。一方,祭壇は洗礼堂の祭壇に似た大理石製箱型祭壇で,コンポジット式柱頭付きのダブルの角柱がテーブルを支えている(注26)。前面のブロンズ格子は,ジョヴァンニ・デイ・バルトロメオ,バルトロメオ・デイ・フルオズィーノの協力を得てミケロッツォが制作したものである。⑪ 1446 [ブルネレスキのデスマスク,大聖堂附属博物館蔵(Firenze,Museo dell’Op-era del Duomo) ]:ジェッソによるデスマスクは,ポッジによりカヴァルカンティに帰属された(注27)。Fiore, navata destra)] : 144 7年2月27日,大聖堂建設局はカヴァルカンテイにブルネレスキの墓碑制作を依頼する(C.A. L. n. 54ac. 133 t) (注28)。大聖堂に入ってすぐの右側廊壁面にあるこの墓碑は,円形枠組に固まれたブルネレスキの胸像と,その下にフイレンツェ共和国書記官カルロ・マルスッビーニによる銘文を刻んだ墓碑銘で構成される。ブルネレスキの胸像にはカヴァルカンティ特有の硬さが見られ,ブルネレスキのデスマスクをもとに少々若く理想化してはいるが,そこにはあまり生気が感じられない。ツィ礼拝堂(Firenz巴,SantaCroce, Cappella Pazzi) ]:ザールマンは,正面奥の大理石製祭壇,正面入り口扉枠上部ティンパヌムの聖アンデレと,花綱をもっ二人のプットー572 オベオペラ
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