ー1),モロッリらによってベーシャのカルデイーニ礼拝堂が注目された。以下,カヴ(2)建設活動の浮き彫り,扉枠に施されたプットーの顔三つ,さらに礼拝堂正面の四つの窓枠のうち向かつて右端の窓枠にある,やはりプットーの顔とふざけるこ人プットーの浮き彫り三つをカヴァルカンテイに帰している。この場合,ザールマンは祭壇のデザインを,同時期そこでテラコッタ製円形浮き彫りパネルを制作していたルーカ・デッラ・ロッピアによるとしている(注29)。⑭ [ピエトラセレーナ製扉枠および洗手盤,ヴアツレ・デイ・テルツォッレ(フィレンツェ),チェルチーナ聖堂(Pievedi Cercina, Valle di Terzolle)]:カルデイーニ礼拝堂の建築装飾細部との類似から,カヴァルカンティに帰属された。洗手盤は同教区聖堂に隣接する司祭館にある(注30)。⑮ [ストウツコによる家庭用礼拝像,国立ベルリン美術館蔵]:いずれも「聖母子」のストゥッコによる浮き彫りをエデイキュラ型の枠組にはめ込んだ礼拝像(そのうちの一点はテインパヌムをもたない)で,ドナテッロやルーカ・デッラ・ロッピアのイ乍風に近い(注31)。以上(1)彫刻作品で見てきたように,おそらくカヴァルカンテイはタベルナーコロ,洗手盤,説教壇や建築的装飾部分の制作において,より高い技量を発揮したといえる。「彫刻のマエストロ」カヴァルカンティの作品は史料から断片的にも再構成できるが,彼の建築についてはガイエが1830年代に帰属というかたちではじめて再構成した(注32)。それ以後も研究の対象とはならなかったが,1970年代にガンブーテイ,グッリエアルカンティに帰されている建設活動を簡単に挙げる。⑮ 1447 50 [ベーシャ(ピストイア),サンティ・ピエトロ・エ・パオロ礼拝堂(Ora-torio di Madonna di Pie di Piazza, Pescia, Pistoia)]:ブルネレスキ様式のマドンナ・ア・ピエ・デイ・ピアッツァ(Madonnaa Pie di Piazza)とも呼ばれるこの礼拝堂は,その三面外壁のアーティキュレーションに洗練さがやや欠けていること,そしてカヴァルカンテイの故郷に近いことのみを根拠に帰属された。⑫ 1451 [ベーシャ(ピストイア),サン・フランチェスコ聖堂カルデイーニ礼拝堂( Cappella Cardini, Chiesa di San Franc巴sco,Pescia, Pistoia)]:⑮と同じくこの礼拝堂とカヴァルカンティを結びつける史料は現在までのところ見つかっていない。しかし礼拝堂入り口アーチのベンデンテイヴに施された浅浮彫りの,やや頬が膨らんだケルピ573
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