(2) ブッジャーノ・カステッロ(ピストイア,ブッジャーノ)で1979年6月23日に開(3) カヴァルカンティのおいたち,ブルネレスキとの関係について言及している文献I. Hyman,“voce : Cavalcanti, Andrea, detto il Buggiano”,in Dizionario Biografico (4) カタストの抜粋はFabriczyによって,前後4つの申告書とともに出版された。c.使用された例がない(カタストその他同時代の史料ではアンドレア・デイ・ラザーロとして登場する)。いつ頃から使われたかについては不明だが,「アントニオ・ピッリの書」と呼ばれる作者不詳の伝記には「ブッジャーノ出身の弟子」とだけあり,ヴァザーリの『芸術家列伝J「ブルネレスキ伝」には「ボルゴ・ア・ブッジャーノ出身のブッジャーノと呼ばれた弟子」と明記されているので,おそらく16世紀半ばまでには,この通称が定着していたものと考えられる。U.Procacci,“Chi era Filippo di ser Brunellesco ?”,in Fil伊•poBrunelleschi, la sua opera e il suo tempo, Torno. 1 , Firenze, 1980, p. 52. ?崖されたこのシンポジウムには,u.プロカッチ,F.グッリエーリ,M.G.C.D.ダル・ポッジェット,G.モロッリらが参加し,カヴァルカンティ研究の現状と問題点を論じた。その成果は,翌年ボローニャで出版された論文集にまとめられている。Attidel Convegno su Andrea Cavalcanti detto“fl Ruggiano”,a cura del Comune di Buggiano dell' Associazione Civile pro Buggiano Castello della Sezione della Val di Nievole d巴ll’Istitutostorico lucchese, Bologna, 1980, 119pp.この小冊子の約半分は論文の体裁をとっておらず,随想、風のものも混じっている。そのなかでポッジェットによる「彫刻家ブッジャーノ(11(Buggiano} scultore)」は,カヴアルカンテイを論じた主要な基礎的文献とされている(pp.37 46)。はひじように少ない。比較的詳細なものとして,U.Procacci, op. cit., pp. 52 54 ; degli Italianiがあるが,いずれもC.von FabriczyによるFilippoBrunelleschi : sein Leben und seine Werke, Stuttgart, 1892 をもとにしており,新たな情報は加えられていない。カヴァルカンティに関する簡潔な記述は,F.Quinterio,“voce: Bug-giano”,in The Dictionary of Art, London, N巴wYork, Macmillan, 1996 を参照。von Fabriczy, ibid., 1892, pp. 522ss.なおカタストを含むカヴァルカンテイに関連する同時代史料の抜粋と,その詳細がクインテリオによってなされている。F.Quin-terio,“Ragguagli documentari’', in F. Borsi, G. Morolli巴F.Quinterio, Brunelleschi-ani, Roma, 1979, pp.247 259. -575-
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